倭の島のモノ語り / 稲垣尚友

女(おなご)の余りとヨマ(紐・縄)の余りは無か

大波の寄せた翌朝、わたしはハマに寄木拾いに出かけました。寄木とはハマに打ち寄せる流木のことです。これは誰もが魅せられる仕事なのです。拾った材で家を建てることもできるのですから、宝物探しと同じです。島の人はよく口にするのですが、「海のものは誰のモノでも無か。皆のモノ」なのです。貴重な財産である寄木には、すべての人が所有する権利を認められている、ということです。その日はわたしひとりしかハマに下りて来ませんでした。

一本の長い角材を拾い、それを家に持ち帰ろうしたら、途中の山道でひとりのアニに呼び止められました。「見たような材やなあ」と、わたしが担いでいた角材をまじまじと見つめるのです。しばらくしてから、「これはオイ(俺)がノンジェのハマで拾うたヤツや」と言い切りました。わたしは、「オーセのハマで手に入れたのだが・・・・・・」と反論しました。アニが以前に拾ってハマに置いたままにしていたものが、今回の波で再度沖に流れ出し、二キロメートル離れたオーセに打ち揚がったらしいのです。アニは自信たっぷりに材を裏返してみせました。そこには旧取得者であるアニの家紋が刻んでありました。近くに転がっていた石か何かで印を入れたのでしょう。「こん前の大波で流されたとやろう」と釈明して、わたしから取り返そうとしたのです。「一度流れ出したら、誰のモノでもなか」とわたしが抗ったのですが、アニは態度を変えようとしません。「ワイと(おまえのモノ)や無か。ひとのモンを運んだらいかん」と、たしなめられました。

アニの主張する論拠は、再漂流が二キロメートルの短さであるからということもあったでしょうが、それ以外にも認めようとしない意志が働いていたようです。

コンクリートミキサー車。一九七〇年代までは、島に陸揚げされる車のほとんどは廃車届けをすませていた。写真の四トン車は島の道路舗装の立役者である。シュロの樹の向こうには東シナ海が広がっている。 コンクリートミキサー車。一九七〇年代までは、島に陸揚げされる車のほとんどは廃車届けをすませていた。写真の四トン車は島の道路舗装の立役者である。シュロの樹の向こうには東シナ海が広がっている。

その何日か前から港湾工事が始まり、男たちは競うようにして人夫賃稼ぎに通い出しました。ひさしぶりに現金収入の道が開かれたから皆は大喜びです。これは生活の安定をもたらすイッポウシゴトの一種だと考えたのです。このイッポウシゴトのイッポウは「一方通行」の「一方」であり、それに「仕事」のコトバを繋いで、「専業」を表しています。島の暮らしに見切りをつけて都会へ流れ出る者は皆が皆、イッポウシゴトに就いています。屋内での事務仕事は少なく、大工であったり、鉄工所の職工であったり、船乗りだったりするのです。

こうした、ひとつの仕事だけをしていても生活が成り立つのは、労働市場があるからであり、島では望めません。どんなに腕効きであっても、三十余戸の島では、大工を専業として暮らせるほどの需要はありません。そのことは漁業にしろ、農業にしろ、同じことです。家も建てるが、魚も捕り、米も作らなければ暮らしは成り立たないのです。だから、朝、道ですれ違いざまのあいさつは、「おはよう」と変わらない語調で、「きょうは何ごと?」と尋ねるのです。凪ぎであれば、沖に出て魚を追うし、シケであれば、山仕事をしたり、畑で唐芋打ちをしたりします。その日、何をするかは状況判断にゆだねられます。

そんな日常の中で、「イッポウシゴト」の響きには人を惹きつけて放さないものがあると言っていいでしょう。ようやく始まった工事仕事に出るということは、のどの渇きを癒すほどの喜びがあります。

そうした島内の動きのなかで、わたしひとりが流木拾いに精を出したのです。周囲の人がわたしに勧めるのは、「材木が欲しかれば(欲しければ)人夫賃を稼いで、その金で鹿児島の材木商から買う(こう)方が、どしこ(どれほど)得か」でした。

わたしは現金が欲しくないのではありません。労力を惜しまなければ、欲しいと思うものが手に入る快感を手放したくなかったからです。もっとはっきり言えば、貨幣の媒介を排した、イッポウシゴトが通用しない世界への憧れがあったのです。しかし、見方を変えれば、流木拾いに専念することもやはり、イッポウシゴトと言えましょう。

わたしの動きを横目で見ながら、工事仕事に向かう者たちは気が気ではありません。工事は「いっとき仕事」であり、いつなんどき人夫賃稼ぎが途切れるかもしれない。イッポウシゴトの輝きは持っていても、それが瞬間のものであることも皆は承知しているのです。だから、米作りが忙しくなれば、工事を休むことに抵抗はありません。「米さえあれば生きていける」との信念に動かされての選択です。監督は不意に休む島民たちを、勝手が過ぎるとなじるのです。

この考えは、米作りに対してばかりではありません。流木への未練も断ち切れないのです。かといって、足繁く海岸へ通う暇がないから、「ハマの寄木はみんなナオ(わたしのこと)におっ取らるっど」との噂が広まりました。人夫賃は手放したくない、寄木も欲しいとなれば、「欲どしい」の評をまぬがれないはずですが、噂には真実がこもっているのです。「寄木は誰のモノでもなか。皆のモノやっど」というゆるぎない真実です。

工事も一段落した日の朝でした。突然に、青年団の共同作業が行われることが触れて回られたのです。台風一過のハマに、寄木ではなく、はえ縄漁に使うビニールロープが絡まったまま、ヤマを成して打ち揚がりました。第一発見者が誰であったかは分からないのですが、あまりの多さに個人では手に余ったようです。共同作業で処理することになりました。

出働したのは、学校の用務員をしているひとりを除く全員でした。用務員は学校へ出勤した後だったので触れが届かなかったのです。この人は島内で唯一のイッポウシゴトに就いている人です。多くはない俸給ですが、定期収入があるということは、皆の羨望の的には違いありません。でも、用務員の職がもうけられたとき、皆が誰を推すか衆議したのですが、あっさりとその青年に決まりました。鹿児島に出て大工の修行をしていたのですが、体をこわして帰島している最中でした。健康であれば、自分たちは何とか暮らしていけるのだからという皆の後押しで、その青年は職を得たのです。

話をロープに戻しますが、皆の推測では、ロープは島のはるか沖で操業していた韓国の漁船の物で、シケの予報を急きょ知って、慌てて帰港しなければならなかったのではなかろうか、とのことでした。つまり、低気圧を避けるために、北上を急がなければならなかったわけです。近くの島の影で避難する選択肢も残されているのですから、必ずしも本国に戻ったとは限りません。どちらにしても、操業中のロープを巻き上げる時間のゆとりがなく、仕方なく切断したのでしょう。

作業は半日がかりでした。絡まったロープを解き、それを出働者の頭数に分けました。数百キロに及ぶはえ縄用のロープの内のほんの一部が島に漂着したのですが、それでも、ひとりあたりの分け前は、背負いかごにも入りきらないほどでした。

男なら誰もが漁をするわけですから、ロープはありがたい海の贈り物です。島の諺に、「女の余りとヨマ(紐)の余りは無か」というのがあります。男やもめなら、誰も振り向きもしないが、女なら、たとえ寡婦であっても、売れ残りはない、という笑い話です。ヨマも、同じように、使い途はいくらでもあります。漁だけでなく、荷物の梱包にも、洗濯干しにも、あるいは、舟の舫綱としても、出番があります。つまり、応用の利く素材なのです。当日の分け前を現金に換算する者はいませんでしたが、たいへんな実入りであったことには違いありません。

「海は誰のモノでも無か、皆のモノやっど」と、日ごろから口にしている人たちですから、海からの贈り物は等分に皆が授かってしかるべきである、と考えます。が、この分配物の一件を欠席した用務員の青年に率先して伝えようとする者はいませんでした。心のどこかで、「自分たちだけが良い思いをした」という、後ろめたさが働いていたことでしょう。言い訳を用意している青年もいました。「ニシ(かれ・用務員)は、銭取りに忙しくしとって、オイドンらは、一文にもならん作業に汗流しておるのに」と。それでも、「ニシに分ける道理があるもんか」と、分配を大上段に否定する者はいませんでした。

ニシがたとえ銭取り仕事に忙しくしていても、海の贈り物をまったく手にできないのは何かが欠けている、という空気がその場に流れていました。この考えは、自分たちが工事仕事で忙しくしているからといって、その間の寄木を独り占めする者を許さないのと同じです。用務員へは表だった配当はなかったのですが、個人で配当の一部を分け与えた者がいました。けっして富者にはなれなくても、貧者を生まない工夫をしているのです。

浜辺のアダンが風に揺れている。北隣の臥蛇島で暮らしていたこたことがあるが、同島には灯台があり、風速計を備えていた。あるときの台風で、秒速七十メートルまで計ったことがある。その後、計器が飛ばされてしまい、最大風速は記録できなかった。 浜辺のアダンが風に揺れている。北隣の臥蛇島で暮らしていたこたことがあるが、同島には灯台があり、風速計を備えていた。あるときの台風で、秒速七十メートルまで計ったことがある。その後、計器が飛ばされてしまい、最大風速は記録できなかった。

写真|大島 洋
稲垣尚友

大学中退後、外交官志望から一転島歩きが始まる。
トカラ列島のひとつ、鹿児島県十島村平島に数年を暮らす
熊本県人吉盆地で竹細工の修行の後、茨城県笠間で独立
1986年より千葉県鴨川市で半工半物書きを生業としている
トカラ塾主宰 http://user.ecc.u-tokyo.ac.jp/~c080007