器にひらく文様 / 橋本薫

チューリップ

雪国に住むものにとって、春はひたすら待ち遠しい 。小さい春を捜そうと家の周りをそわそわと歩き回り、時々は車を駈って残雪の間の緑を見つけに行く。そんな気持をじらすかのように、お雛様を飾ってからでさえ風花の舞う日も多い。

ふっくらしたチューリップの芽が見つかれば、もう春を確信できるというものだ。幼稚園くらいの子供は花というとチューリップをよく描く。目線が低いせいだろうか、木の花、例えば桜などはあまり見たことがない。鮮やかな色彩も、シンプルな姿も子供の心をひきつけるのかもしれない。私も開きかけた蕾を、ままごとのワイングラスにしたことがある。

チューリップの花には侏儒が棲むと思ふ  松本たかし

赤い花には赤い服の、黄色の花には黄の服の小人なのだろうか。かわいい空想にも思えるが、原色の小部屋に閉じこもっていたら、少しおかしくなりそうな気もする。愛らしさの裏側に病弱だったという作者の鋭敏すぎる神経の震えが透けてみえる。

チューリップは、日本には江戸時代に伝来したというが広まらず、大正時代になって新潟で栽培に成功し一気に普及したという。その当時はまだまだエキゾチックな花だったのだろう。北原白秋の邪宗門に詠われたチューリップは、どこか影を帯びている。あまりに鮮やかな色彩が禍禍しさをかもすかのように。

露台(バルコン)  北原白秋

やはらかに浴みする女子のにほひのごとく、
暮れてゆく、ほの白き露台のなつかしきかな。
黄昏のとりあつめたる薄明
そのもろもろのせはしなきどよみのなかに、
汝は絶えず来る夜のよき香料をふりそそぐ。
また古き日のかなしみをふりそそぐ。

汝がもとに両手をあてて眼病の少女はゆめみ、
鬱金香くゆれるかげに忘られし人もささやく、
げに白き椅子の感触はふたつなき夢のさかひに、
官能の甘き頸を捲きしむる悲愁の腕に似たり。

 

鬱金香はチューリップの和名。耽美な文字がいかにも邪宗門の世界によく似合う。といってもこちらも中国伝来なのだ。盛唐の詩人李白の詩にもある。

客中行  李白

蘭陵美酒鬱金香
玉椀盛來琥珀光
但使主人能酔客
不知何處是他郷

蘭陵の美酒 鬱金香
玉椀 盛り来たる 琥珀の光
但 主人の能く人をして酔わしめば
知らず何れの處か是れ他郷

チューリップの香りのお酒ってどんなかしら。美酒といえば「葡萄の美酒 夜光の杯」で 有名な王翰の詩も爛熟した唐代の雰囲気を伝えてくれる。夜光杯は西域のもの。鬱金香も、やはりエキゾチシズムを掻き立てるものとして描かれているのだろう。李白は、一説には漢民族ではなく西域の出自であるともいわれるので、だとするとチューリップには一入の思いがあったのかもしれない。

チューリップは中央アジアからトルコにかけて自生していた原生種から改良されたと考えられている。古くは漢代の新疆(しんきょう)地方の絹織物に小さなチューリップが織り込まれているのを見たことがある。子供の描くようなギザギザ頭のかわいいチューリップだ。

シルク・ロードの旅人達の足元に野生のチューリップは咲いていたのだろう。チューリップはアフガニスタンの国花でもある。今は、戦火と旱魃で荒れ果てて見えるアフガニスタンも、かつてはチューリップの花咲く地だったのかもしれない。

子供のころ「カブールから来た果物売り」というラビンドラナート・タゴールの小説を読んだことがある。はるかアフガニスタンから詩人の住んでいたインドのカルカッタまで果物を売りに来る素朴な男の運命を描いて心に残る短編だった。小学生の私はカブールを果物たわわに実る土地と思い込んで、あこがれたものだった。今でも、時々アフガニスタンのラピスラズリの谷を彷徨う夢を見る。そこには青いチューリップも咲いている。

11世紀のペルシャの詩人オマル・ハイヤームの詩集「ルパイヤート」にもチューリップは数多く詠われている。美女に譬えたり美酒の盃に譬えたり、華やかな花容から連想するものは昔も今も案外似たようなものらしい。

春にはチューリップの盃を上げ
チューリップの乙女の酒に酔え。

どうせいつかは天の車の
土に踏み敷く身と思え

ルパイヤート122

イスラム教でも詩人は酒と薔薇の日々ならぬ、酒とチューリップの日々を過ごしたようだ。詩人の墓所からは、きっとチューリップが咲き出でたことだろう。

中央アジアでこれほど愛された花だから、絨緞や織物には沢山チューリップ文様があるだろうと探してみたが、これがなかなかむずかしかった。というのも、デザイン化されたチューリップはしばしば百合と見分けがつきにくい。小さく描かれるとサフランやアマネなど近縁のユリ科の植物とも紛らわしい。

ところで、百合やアマネの球根は私の大好きな食品なのだけれど、チューリップも食用になるものがある。球根は勿論、最近は花も生食できるものが売られているという。そういえば同じユリ科の片栗の葉もスーパーで売られていた。きれいで見つけやすい上に食べられるともなれば、昔々の中央アジアの旅人にはどんなに嬉しい花だったことだろう。

15世紀にはすでに大帝国だったオスマン朝トルコではチューリップが非常に好まれた。色鮮やかなタイルにさまざまなチューリップ文様が絢爛と咲き誇っている。16世紀のイズニックのタイルの色彩の華やかさ、スリップ釉の技術には感心する。

またトプカプ宮殿に蒐集された中国磁器の数々の中にも、チューリップかとおもわれる文様がある。明代の大皿や清時代の長頚瓶の口近くの文様などなど。

その花がヨーロッパにもたらされて大流行したことは有名な話だ。1634年から37年頃、狂ったようなチューリップ熱がオランダを中心にヨーロッパ中に巻き起こった。球根一個がビール工場と交換されたの、馬車三台など、人々は一個の球根をめぐって狂奔したという。しかしチューリップ・バブルもある日はじけて、自殺者も出る騒ぎとなった。その狂騒は大デュマの小説「黒いチューリップ」にも描かれている。めずらしい花を集め育てて楽しむという優雅な趣味の世界に、投機という資本主義の魔の手が伸びた先駆けの出来事だったのだろう。

ちょうどこの頃描かれたとおもわれる、レンブラントの「フローラに扮したサスキア」の髪にも、淡い色のチューリップが挿してある。そんなに仲が良かったようにも思えないレンブラント夫妻だが、この絵の中のサスキアは初々しく愛らしい。

17世紀のオランダといえば東インド会社が世界の海上貿易を牛耳っていた時代でもある。景徳鎮の中国磁器を大量に買いつけた記録が残っている。逆にペルシャの青の顔料を中国にもたらしたのもオランダ商人だったという。かれらはチューリップ文様の磁器を大量に注文して描かせたようで、その数は一説によると三千万個をこえるという。

大英博物館にもトプカプ宮殿のものとよく似た染付け長頚瓶があって、頚の部分のチューリップ文様と胴部分に描かれた中国風の人物図とが奇妙な調和を見せている。こちらはイギリスの東インド会社がもたらしたものだろう。

そんな風に大量にヨーロッパに持ち込まれたチューリップ文様の磁器は、フランドル絵画をはじめ、もっと北方の静物画の中にも描き込まれることとなった。

フランドル絵画の中でも、様々なチューリップや薔薇や、あらゆる季節のありとあらゆる花が一つの花瓶に活けてある花卉画はとても人気があって、それは「虚栄」または「地上の栄華の儚さ」の寓意だそうである。チューリップ・バブルから良く学んだということだろうか。

チューリップがトルコ語のターバンの意味だということは良く知られている。そういえばちょうどチューリップ・バブルの頃に生まれた画家フェルメールのあの「青いターバンの少女」は、あたかも狂騒におどろくチューリップ乙女のようだ。

チューリップ文様は中央アジアからヨーロッパへそして中国へと旅を続けた。その途中、あちこちで植物がそれぞれの土地に根付くように、その地方の文化の影響を受けながら花を咲かせた。15世紀頃のシリアで焼かれた大皿がある。景徳鎮の染付けを模したらしい花鳥文様のなかに、中国の皿にはなかったチューリップが描かれている。器体は素朴なシリアの土の味わいがある。宮殿やモスクを飾るタイルとか王侯貴族の持ちものだった器などは大切にされて、今も美術館に飾られている。だが、庶民の使っていたものはなかなか残らない。庶民のものらしい17世紀頃のトルコの、取っ手のついた壺に黄色いチューリップ文様を見たことがある。さっと描かれた素朴な花の風情が好きでマグ・カップに描いてみた。

使い続けてもらえたら、いつか400年前の壺のような懐かしい風情に育ってくれるだろうか。器達の旅は窯を出たところから始まる。手から手へと渡って、使われて成長してゆくのだ。

チューリップ文様の旅も、きっとまだまだ続いてゆくことだろう。17世紀インドの絵に「サイイド・ラジェ・カッダの肖像」という細密画がある。たっぷりとひだをたたんだスカート風の衣装に、ふわりとスカーフを巻いた気品ある人物が立っている。左手にはイスラム風の半月刀をつき、そして右手には可憐なチューリップの一輪をつまんで差し出すかのような仕草である。

剣より花を、という寓意だろうか、それともこの人物の、とある一瞬を切り取っただけなのだろうか。

一輪の花が文様になるまでには、はるかな過去からの人々の思いの凝縮された時間が込められていることを知らねばならない。

橋本薫

1974年より、九谷須田青華窯にて食器作りを習い、
1985年に独立。橋本俊和とともに石川県加賀市に曽宇窯を開く。
水音涼やかな川辺の住まいと工房で、器制作、読書、俳句、料理、猫との暮らしを楽しむ。
うつわ歳時記  http://www7b.biglobe.ne.jp/~utuwasaijiki/