器にひらく文様 / 橋本薫

兎

十二支の動物たちの中でかわいらしいのはなんと言っても兎だろう。私の住む小さな町の外れに「月ウサギの里」という商業施設がある。放し飼いの兎に餌をやったりできて楽しいのだが、店内にずらりと並んだウサギグッズの夥しさには感心する。たしかに、丸みがあって、長い耳という特徴もキュートな兎は、愛すべきキャラクターになるために生まれたような姿だ。

ふわふわで大人しい兎。しかし神話や伝承の中では、ただかわいいだけではない側面もかいまみせてくれる。

たとえば誰でも知っている古事記の稲羽の白兎の物語。兎はワニをだましたはいいが、もうひといきのところでそそっかしく失敗し、大国主命に助けてもらう。そこで白兎は「八神姫はあなたと結婚するだろう」と予言する。神様に予言して言祝ぐのだから、この兎、ただものではない。

ここでも兎は正直なワニをだまして利用する狡猾な面と、無力な犠牲者、そして予言する神性とさまざまな貌を見せている。

水中の生き物をだまして渡ろうとするこのタイプの物語は、兎ばかりでなくさまざまな動物の物語として世界中に広く分布している。

中国では兎がスッポンをだます話としてお決まりの展開となり、スッポンに自慢の尻尾を食いちぎられて今のように短くなってしまったという、兎の尻尾の起源のお話になっている。

似たような例は東南アジア、インド、中国の他、北方にもあって、研究者もこの伝承が南方系だとか北方系だとか、なかなか決定できないらしい。読み解き方もさまざまで、兎の象徴する山の民と、和邇族など海の民の相克の歴史を踏まえているなどの難しい説もある。また梅原猛は著書「神々の流竄」のなかで、稲羽の白兎は、海水での禊から真水への禊の転換を示すものとしている。

しかし、なんで兎なのか。他の山の動物でも良かったのではないか、と考えてみる。熊や虎では怖すぎるし猪は不器用そう。鹿ならワニの背中を渡れてもだましたりしないだろう。猿ならばずる賢くてすばしっこいから、兎の代わりが出来そうである。実際、兎と猿は神話の中でよく似た役回りを演じることが多い。要するに兎はその昔、猿と同じくらいずる賢いと思われていたようだ。両者とも山の神のお使いとして神聖な獣とみなす地域も多い。野生でいながら人の近くにも頻繁に現われて親しみやすいこともあって、森の神と人とをつなぐものとしてふさわしかったのだろう。思いがけない方向にジャンプして追っ手を交わす兎の走りは、彼岸と此岸を自由に飛び回る精霊にかさねあわされたのかもしれない。

出雲は勿論、京都府、滋賀県にも神の使いとしての兎の説話があり神社もある。福井県三方町でも、山の神の祭日に山で兎を見ると跳ね飛ばされるなどという。こうなると山の神様の使いというよりほとんど神様そのもののようだ。

少し前までは、我が家の庭にも夜になると兎が出てきた。ベージュ色の野うさぎは、クッキーのように愛らしかった。が、ある晩「…!…」と声にならないただならぬ気配を感じて照らしてみると、懐中電灯の明かりの輪の中に、猫が兎を咥えている姿が浮かんだ。うさぎのこめかみにルビーのような一滴の血。

いつもデレ~ンとだらしない猫がその時は野生の威厳を帯びていた。その後、山の神に祟られた様子もない。

兎は世界中に分布しているので、兎が主役のお話も数限りなくある。

山口昌男の著書「アフリカの神話的世界」によると、兎はずる賢くかなり残酷だが、どこか憎めないトリックスターとしてアフリカ中で大活躍している。なぜか身内の、特におじさんをやっつける話が多いような気がするが、それは兎の性格というよりアフリカの部族社会の構造をあらわしているのかもしれない。ドゴン族はさまざまな動物の仮面を作っているが、猿と兎の仮面は圧巻である。

古代ギリシャのイソップ物語「ウサギとカメ」でも、兎の詰めの甘い性格が暴露されている。イソップ物語の成立は紀元前六~三世紀ごろで、ギリシャばかりでなくもっと古い西アジアの説話などもとりこんでいるという。

ヨーロッパでは兎は中世から凶兆としてひろまっていた。十世紀のギリシャ人辞典編集者スイダスが「兎と出会うのは不幸の始まり」と書いている。また魔女が兎の姿をとるとも言われたが、それが兎を食卓に乗せることの妨げにはならなかったようだ。

クリュニー中世美術館のタペストリー「一角獣と貴婦人」の足元に広がる、星のように鏤められた花々の中に白い兎もいる。そんなに不幸なようにも見えない。

余談になるが、猫も魔女の使い魔として中世から十八世紀にいたるまで、なにかというと虐殺された。ヨーロッパを何度も襲ったペストの流行も、虐殺によって猫の減ったために鼠が増えたのが一因だという。猫好きのわたしとしては、それみたことかという気分である。

兎の話に戻ろう。そんな風に不吉な生き物とされたにもかかわらず、復活祭になると、ヨーロッパの町に、木彫りやチョコレートの兎があふれるのはなぜだろう。イースター・エッグを運んでくるとか、なかにはその卵を産むと書いてある辞書さえあるイースター・バニー。

おそらくキリスト教以前、兎は繁殖力の旺盛さから、自然の豊穣性の象徴だったのだろう。冬が終わり、自然の甦りを祝う春の祭りの主役だったかもしれない。だからキリストの復活にもちゃっかり顔を出すのだろう。

キリスト教は古代の神々を悪魔にしてしまったのと同じように、動物達も森の精霊から、人間以下の存在へと引き下ろしてしまった。それでも兎はあちらの世界からこちらへ、神秘な精霊の森から人間の畑へと、軽快に飛び回って思いがけない所からひょっこり顔を出す。トリックスターの面目躍如というところだ。

世界一有名な子兎、ピーター・ラビットも野生だけれど、人里へ来ては“冒険”する。あどけなく罪のないトリックスターである。

オリエント世界の兎の物語は残念ながらまだ読んだことがない。華麗な絨緞の「生命の樹」文様の近くに「兎かな?」とおもわれる小さな姿があることはあるが、写本の挿絵などでは狩の獲物として、見かけるくらいだ。見事なパルティアン・ショット(馬に乗ったまま振り返りざまに弓を射る)でまさに射抜かれたところだったりする。

勿論兎は世界のどの狩場でも獲られ食べられてきた。肉食を忌んだ昔の日本でも兎は獣ではないと苦しい言い訳をして、一羽二羽と数えてまで食べていたのだし。それに漢字の「卯」は犠牲の肉を二つに裂いた形だそうだし。

  白きうさぎ雪の山より出でて来て殺されたれば眼を開き居り  斉藤 史

純白の雪山の精のような白兎は、いかなる神への供物なのだろうか。無垢な犠牲者らしい白い毛並みも、流されたに違いない血の色と対比されて一入強烈な印象だ。

気高き犠牲といえばインドのジャータカ(前世譚)の兎の物語が思い出される。今昔物語にも載っているよく知られた話だが、かいつまんで言うと、こんな物語である。

ある所に信心深い三匹の動物がいた。兎もその中の一匹で、彼らはいつも語り合い、仏教への帰依を誓い合っていた。ある時、旅の僧があらわれる。彼らはそれぞれ精一杯疲れ果てた僧をもてなすが、何も見つけられなかった兎は焚き火をして自ら火に飛び込んでわが身を僧への供物とした。その僧は、実は帝釈天の仮の姿だったのだが、捨身の帰依に感動し、兎を月に運んでその信心のしるしを永遠に止めることにした。だから月には今も兎の姿がある。

この物語にもバリエーションがあって、形だけ月に残して兎は薬を塗って元通り生き返るハッピーエンドもある。子供の私は兎の信仰心より「お坊さんも兎を焼いて食べるんだ!」と、そっちのほうに驚いたものだった。

この物語は七世紀の玄奘三蔵の大唐西域記に有名だが、それ以前にもさまざまの経典に書かれて西域に広く伝播していたようだ。

天寿国繍帳 中宮寺(飛鳥時代・七世紀)

おなじ七世紀ごろに作られた中宮寺の天寿国繍帳にも、満月の中に兎の姿がある。兎の手前には薬壺のようなものが見える。

もともと、古代中国では、兎は月宮殿の月天子のお使いと言い伝えられていた。月宮殿で仙薬を作っているとも言われる。月は欠けては満ちる再生のシンボルだから、その薬は再生の霊薬に違いない。だから天寿国繍帳のように兎が薬壺に侍しているのが古式の姿なのかもしれない。

臼と杵で兎が餅をついているというのは、望月→もちつき→餅搗き、というダジャレだという。しかし言葉遊びを軽く見てはいけない。「遊ぶものは神である。神のみが遊ぶことができた」と、白川静は「文字逍遥」の冒頭に書いている。満月のように白い丸餅は魂の象徴である。だからお正月にはお餅を食べて、魂を更新するのである。再生の霊薬と新しい魂という、両者にどこか通底するものがあったからこそ、兎の餅搗きも人の心に訴えたのだ。やがて兎自体、餅とイメージが結ばれていったのだろう。それで徳川将軍家は、正月の雑煮に餅と一緒に、兎肉も入れるようになったのかもしれない。

時間が少し戻るが、正倉院の密陀絵の唐櫃には羽のある兎の絵がある。私は羽のある兎は他に見たことがない。月の兎の古い形なのだろうか。羽のある兎なら一羽二羽と数えるのも無理はない。この兎、耳はやや短めで野性的である。羽を失うにつれて、描かれた兎の耳は長くなっていくようである。

中国明時代、十七世紀中葉の焼き物、古染付は、日本の茶人の好んだ焼き物である。動物もさまざま描かれているが、中に五寸皿に兎が稚拙な筆で描かれたものがある。吹墨が施されその上に、ごていねいに「玉兎」と文字が添えられている。魯山人の好んだ皿である。魯山人はまた、小さな偏壺に描かれた兎を、「原始的」、「古調を帯び」、「(裏側に描かれた)馬を食ってしまいそう」と絶賛している。どちらの兎もかわいいというより力強い。

江戸時代に入ると兎の耳はますます長くなる。東京国立博物館の蒔絵の波兎は、この耳で羽ばたいて飛ぶのか、と納得するくらい長い。

古九谷の青手兎図大皿には二羽の向兎が、黄色い波の上を悠々と飛んでいる。波は月光で黄金色なのだろうか、大胆でシュール・レアリスティックな図柄が不思議に魅力的だ。

他にも伊万里の皿に、江戸小紋に、うさぎ文様は跳梁跋扈している。そしてますますかわいくなってくる。

かわいいといえば、京都嵯峨の大覚寺の蛙又の兎だ。波兎のよくあるポーズなのだが丸々して愛らしい。大覚寺には、正寝殿の障子の下の腰板にも、兎たちが描かれていて、私はひそかに兎さんの寺と呼んでいる。

定型に収まってかわいくなってきた兎は、野生を失ってペット化しつつあるといえるのかもしれない。その流れは現代まで続いている。かわいいウサちゃんグッズには、かつての悪賢さやたくましさはすっかり拭い去られている。しかし、次はどこへジャンプするかつかめない兎のことだ。そろそろ、チョイ悪ウサギなんてキャラクターが顔を出してもいい頃かもしれない。

橋本薫

1974年より、九谷須田青華窯にて食器作りを習い、
1985年に独立。橋本俊和とともに石川県加賀市に曽宇窯を開く。
水音涼やかな川辺の住まいと工房で、器制作、読書、俳句、料理、猫との暮らしを楽しむ。
うつわ歳時記  http://www7b.biglobe.ne.jp/~utuwasaijiki/