器にひらく文様 / 橋本薫

秋草文様

里山もそろそろ紅葉の盛りである。北陸山中に住んでいるというのに、晴れた日は紅葉狩りにでかけずにはいられない。大概日帰りで行ける琵琶湖の畔をぶらぶらする。蒟蒻で有名な永源寺、西国三十三箇所の札所の長命寺、三井寺。近江の秋は歴史に彩られて一入あざやかだ。

春は、いうまでもなく美しいが、散り始める寸前の紅葉には、凍った炎のようなすごみがある。真紅は勿論、透き通るような黄葉にも惹かれる。

柿本人麿にこんな歌がある。

秋山の黄葉を茂み迷はせる妹を求めむ行方知れずも
万葉集巻二

妻を亡くした時の歌だと言う。樹上も枯葉の散り敷く地上も全て黄一色の死の国のイメージは詩的だ。黄金色に輝く黄葉の陰に、亡き人の面影がふと顕っては消える。

黄金は、錆びることがない。だから不滅性の象徴として古代エジプトのファラオもインカの王も永世を夢見て黄金を身にまとった。

しかし、その黄金で、儚い秋草や紅葉をかたどったらどうなるか。

漆工芸は平安時代にはすでに成熟していた。蒔絵あり、螺鈿あり、馬に置く鞍から手箱まで、黄金の秋草が波打っている。もっともうつろいやすいものに与えられた、永遠の輝き。

美術館のガラスを通してしか見ることが出来ないのは残念だが、国立博物館や根津美術館の蒔絵手箱に描かれた秋草は萩であり女郎花であり、すぐ、それとわかる具体的な姿で描かれている。かといって具象ではない。松尾芭蕉は三冊子に「ものの見えたる光いまだ消えざるうちに言い留むべし」と書いている。野原に揺れている姿のままのようでいながら、この世ならぬ輝きの中に静止している小さな花々。平安や鎌倉の世に生きた工人の目に映った「見えたる光」の具現なのだろうか。

黄金の光の中の秋草は、美しく滅ぶことを、良しと思わせる魔力がある。常に死と向き合っている武士達に好まれたのは当然だろう。室町時代になると、ありとあらゆる高度な技法を用い、しかも秋草の中に文字をひそめて主題の歌を示したりと、技術も意匠も凝りに凝った調度品が作られた。浦島太郎の玉手箱の中に竜宮の時間がこめられていたように、小さな蒔絵箱に、王朝文化への憧れがぎゅうぎゅうに詰めこまれている。

仏教の諸行無常の教えよりも、移り行く季節のもののあわれの美感が、より強く日本人の心を捉えたのだ。

つづく桃山時代、秋草模様の蒔絵は武将達にあまりに人気があったので,たくさん作るために、技法としては簡単なものが多用された。それが結果的に高台寺蒔絵の斬新な力強さをかもし出したのかもしれない。

何年か前の秋、京都東山の高台寺に参詣したことがある。霊廟のまえの花筏文様蒔絵も写真で見るよりすっきりとかわいらしく、秋草は力強い中に風情が感じられた。建物も女性の住いらしく、仰々しいところがなくて落ち着く。又訪れたい寺の一つである。

もののあわれの美学と言ってしまえばそれまでだが、打ち萎れ滅びてゆく秋草をこれほど好んで描くことは他の国にはみられないように思える。滅びゆくものの美を詩に歌い、それをまた形にして、一個の手箱や身の回りの品々に総合的な抒情世界をつくる。言葉と図像の幸せな一致である。それは現代のマンガに通じるところがあるかもしれない。そういえばマンガの祖といわれる鳥羽僧正の鳥獣戯画でも、相撲をとったり舞ったりしたりしている愉快な兎やかえるの背景に、萩、薄、女郎花、など秋草がさらりと描かれている。それらの草花は画面にさわやかな風を吹き込んでいる。滑稽でおろかな生き物たちの姿を、ただ笑うのでなく、それもこの世の風光と、いとおしく思わせてくれる風だ。

焼き物では平安時代の珠洲焼の壺に箆(へら)で描かれた秋草文様がわすれられない。秋の日の土の匂いのような淋しい文様が、素朴な壺の形とぴったり合ってなんともいえない風情だった。

さすがにもののあわれの美を愛でながら、食欲モリモリとはいかないらしく、志野や織部に萩や薄のざっくり描かれた皿が印象に残るだけで、食器に描かれた秋草は江戸時代の光琳乾山兄弟を俟たねばならなかった。乾山は王朝文化に憧れがあったのだろう、定家詠十二ヶ月和歌花鳥図を角皿にも絵にも描いている。角皿のうらには和歌が書いてあって、その書がまたすばらしい。乾山は他にも桔梗長皿秋萩角皿などさまざまな秋草をのびのびと描いている。流水に紅葉の図柄をよく「竜田川」とよぶが、乾山の有名な色絵竜田川透かし彫り反り鉢も華やかなのに技巧を感じさせない落ち着いた味わいがある。乾山の器を見ると「一度でいいからこの器で食べてみたい」と思わずにはいられない。詩書画三絶の人の世界には、ただため息が出るばかりだ。

江戸琳派の画家酒井抱一の秋草図屏風は大好きな絵の一つだ。抱一の秋草は、瀟洒でいてどこか武士らしく、潔く滅ぶものへの共感がある気がする。

磁器に上絵付けの技法が確立されると秋草は繚乱と咲き誇るようになる。出光美術館の青手古九谷菊文様大皿は石川県立美術館の青手桜文大皿と並んで大好きな皿の双璧である。

小皿や徳利、さまざまなうつわに秋草は描かれる。 小皿や徳利、さまざまなうつわに秋草は描かれる。

秋草図はどんなに絢爛と描かれても一抹の哀れがあって、淋しい豪華さになるのが私は好きである。勿論秋草はそれぞれ歌に歌われて歌意や情趣を濃くまとっている。描かれた秋草に添えられた事物をヒントに、これはどの歌を表したものだろうと古い器の文様を推理するのもたのしい。

萩の花は鹿の発情期と重なることから、鹿妻草とも呼ばれ、しばしば恋とむすびつけられる。万葉集を開けば、萩と恋に鳴く鹿はすでに常套だ。

わが丘にさを鹿来鳴く先萩の花妻問ひに来鳴くさを鹿
万葉集巻八

妻恋に鹿鳴く山辺の秋萩は露霜さむみ盛り過ぎ行く
巻八

萩の花と恋だけでも

秋萩を散らす長雨の降る頃は独り起き居て恋ふる夜ぞ多き
巻十雨に寄す

秋萩の咲き散る野辺の夕露に濡れつつ来ませ夜は更けぬとも
巻十露に寄す

ゆくりなく今も見が欲し秋萩のしなひにあらむ妹が姿を
巻十花に寄す

と、枚挙に暇がない。なよなよと打ち伏す萩の花は恋に悩む姿になぞらえられて、恋文を秘めておく文箱にはうってつけの文様だったのである。

万葉集に出てくる植物の中で最も多く歌われているのは、萩の花だそうだが、それもおそらく萩と恋の、結び付けられた結果ではないだろうか。恋する時、人は誰しも詩人になるというが、万葉の人々もまさにそうだったのかもしれない。

また万葉集の巻十雑歌には「秋風はすずしくなりぬ馬なめていざ野にゆかな萩の花見に」と、馬をならべて萩の花見に行こうとさそっている。わざわざ萩の花見とは、風流ぶりに感心するが、江戸時代の「近江名所図会」にも萩の名所野路の玉川での花見の図が載っているので、近世まで人々は春の桜ばかりでなく様々な花の花見をしていたことがわかる。花見をすれば宴をひらき、花を摘んで人に送り、メールやら電話やら、なにかと便利な今の時代よりも、昔の人は上手に恋をしていたようである。

秋の花の一つ一つを詩歌や美術品にたどってゆくのは楽しいが、きりがないので、この辺で置いておこう。一つだけ付け加えさせて欲しいのだが、私はこの頃になってやっと薄の美しさがわかったような気がする。まさに

面白さ急には見えぬすすき哉
上島鬼貫

というところである。年を取ってこそ見えてくるものもある。魯山人も薄が好きだったのか、器ばかりでなく屏風にも描いている。たしか京都の何必館でみたと思う。何必館には繁華街とは思えない静かな魯山人作品室もあって、魯山人ファンならずとも必見の美術館である。

秋草と一まとめにして書いてきたが秋の七草は、万葉集巻八秋の雑歌の山上憶良の歌二首が初めとされている。

秋の野に咲きたる花を指折りてかき数ふれば七種の花
其の一(1357)

萩の花尾花葛花なでしこの花女郎花また藤袴朝顔の花
其の二(1358)

と、わざわざ二首に分けて書いてある。

春の七草は食用という目的で選ばれているが、秋の七草の選択は何を基準にしたのだろう。美しさで選んだにしては野菊も紫苑も水引草もない。

桔梗や葛が選ばれているから冬を迎えるための薬効かと考えた。しかし、今の朝顔なら其の種は牽牛子という漢方薬で、和漢三才図絵にも載っているが、万葉時代はまだ当来していなかったらしい。憶良の「朝顔」は槿(ムクゲ)であろうという。槿といえば芭蕉の「道の辺の槿は馬に食われけり」の句をおもいだす。馬には身体にいいのかもしれないが人間にもいいとは聞かないので、秋の七草薬効説は無理なようである。

研究者は七夕の行事用の花を選んだのではないかという説をたてている。背の高い花ばかりえらんであるので、たしかに広い場所に置く立花には向いているかもしれないと思う。

万葉の昔から、春と秋のどちらがこのましいかと雅な論議がなされてきた。額田王は秋を選んで

冬こもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ
咲かざりし 花も咲けれど 山を茂み 入りても取らず
草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては
黄葉つをば 取りてぞ偲ふ 青きをば 置きてぞ嘆く
そこしたのし 秋山我は

万葉1-16

と、歌っている。千年以上も昔の歌なのに、都会人の散歩めいた軽めな感想という気がするが、歌われたその場では、当を得たものだったのだろう。空気を読むのは宮廷詩人の要件である。

私もどちらかといえば秋が好きかも知れない。春の桜は静かに眺めようと思うとかなり辺鄙な所まで出かけなければならない。その点、秋の紅葉は、額田王のいうとおり、身近にあって、どんな道の辺の草花も、あでやかに色付く。散歩の途中、雲間から一瞬落ちた光に浮かび上がる秋草の一叢は、昔の人からの音信のような気がする。

橋本薫

1974年より、九谷須田青華窯にて食器作りを習い、
1985年に独立。橋本俊和とともに石川県加賀市に曽宇窯を開く。
水音涼やかな川辺の住まいと工房で、器制作、読書、俳句、料理、猫との暮らしを楽しむ。
うつわ歳時記  http://www7b.biglobe.ne.jp/~utuwasaijiki/