器にひらく文様 / 橋本薫

渦巻き

机の上にアンモナイトの化石がある。福井県の恐竜博物館に行った折、あまりきれいで、つい買ってしまった。鼈甲(べっこう)色の小部屋がつらなって端整な渦を巻いている。太古の海で一所懸命成長したのだなといじらしい。螺旋(らせん)をただ眺めていることは出来ない。視線はどうしても中心へと引き込まれてゆく。

殻の渦次第に早き蝸牛(かたつむり)  山口誓子

初めはゆるゆると、あるところから急激に巻き込んでゆく渦の魔力を、まさに捉えた句である。いったん渦に巻き込まれたらもう逃げられない。しかし、その恐怖の中にどこか恍惚感がある。

水の渦、炎の渦、渦は流れに差異のある所に生まれる。夏の浜辺で拾った巻貝の美しい螺旋構造に、魅せられた人は多いだろう。星雲からDNAまで、渦は神の暗号のようにひそんでいる。

轆轤(ろくろ)で削りだした高台の内には小さな渦が立ちあがる。 器|すべて曽宇窯 轆轤(ろくろ)で削りだした高台の内には小さな渦が立ちあがる。 器|すべて曽宇窯

小さかった頃の石蹴り遊びも、まず地面に巨大なアンモナイトの殻のような渦巻きを右回りに描いた。その中心へ向って石を蹴ってゆく。ケンケンで線を踏まないように小石を蹴るのは、子供にはけっこう難しかったが、それでも途中に足を下ろしてもいい印や、踏んではいけない場所などがきめられていて、なんとなく奥深い感じがしたものだ。渦は別世界への抜け道なのかもしれない。

十九世紀の「天路暦程」の挿絵版画にも、石蹴り遊びと良く似た渦巻きの道が描かれている。「天路歴程」は若草物語にでてくるので見てみたのだが、プロテスタントではポピュラーな宗教書らしい。この本をいつも開いていた四姉妹の不在の父親は牧師のようだ。挿絵には人生の泥沼や虚栄の市場を抜ける巡歴の行程が事細かに描きこまれていて、中心は死の河に取り巻かれた天上の都市である。それが上がりというわけ。石蹴り遊びでは、中心からまた戻ってこなければならないのだけれど。

いにしえの神事の姿が、子供の遊びに残っていることがあるという。渦巻き型の石蹴り遊びもそういう古い遊びの一つだったのだろうか。

「創造、あるいは考察はここでは世界の始原的な『刻印』ではなく、最初の世界に似た一つの世界を真の意味で作り出すことであって、そうしたことは、最初の世界をコピーするためではなく、それを理解可能なものにするためになされるのである」とロラン・バルトは「構造主義的活動」の中で述べている。

文様も、どこの誰、と特定できない無名の人々の暮らしの中から生まれた美的創造物である。バルトの言葉のとおり、其処にはこのわけの分からない世界をどうにかして理解したいという人々の切実な思いがこめられている。世界の不思議さに畏れつつも魅了される、目くるめく感覚が渦巻き文様の中にこだましている。

渦巻き文様の歴史は古い。紀元前三千年ごろ、世界中で、人々は石や粘土に渦巻きを描くのに没頭していたかのようだ。四大文明はそれぞれ好みの渦がある。文様には起源のたどれるものも多いけれど、渦巻き文様は文明の誕生と同時に、それぞれの土地で発生したかのように見える。渦は人が本能的に描く形だと聞いたことがある。私もはじめてクレヨンをにぎったとき、まずグルグルとメチャクチャなうずまきをえがいたのをおぼえている。そのクレヨンの色が黄緑色だったことも。そんな螺旋の神秘に古代人が魅了されないわけはない。渦巻きはどこにでも、人間の身体にもある。耳の形、指紋、旋毛、そして腸。

メソポタミアの粘土板に表現された腸状迷宮は、圧倒的な呪術的迫力で見るものに迫ってくる。そのせいか、渦文様の発祥はメソポタミアの腸形粘土板ではないかと考える向きもあるらしい。しかし、むしろ渦のイメージが、生き物の内部にも見出されることが、古代の人々には神秘的照応を強く感じさせたのではないだろうか。

粘土の腸はそのひび割れ方具合で腸占いにつかわれたという。腸占いは中国にも、また他の文化にも見られる。もちろん始めはほんものの腸を使っていたのだろう。粘土に写すことでワンランク"文化的"になったといえるのかもしれない。

大宇宙(マクロコスモス)とミクロコスモスとのあいだに照応を読み取とろうとすること、そこには、素朴なアニミズムとかたづけてしまえないものがある。現代の作品でも、例えばシュール・レアリストの画家マックス・エルンストの「フランスの庭」には、風景と女性の肢体が渾然と描かれ、他我の未分化な意識下の世界のようでもあり、現実を超えた理想の調和のようでもあって、見るものに一種の陶酔感をもたらしてくれる。

無限の螺旋

黙して歌う

我らの体内   夏石番矢

体内の螺旋の歌はつきることがない。すこやかな迷宮だ。螺旋の魅惑に絡めとられたものは、永久に其処から抜け出せない。迷宮は外敵からまもってくれると同時に其処に棲むものを幽閉してしまうのだ。

伝説の迷宮といえばクレタ島だ。ダイダロスの作ったという迷宮の闇の中心に、人身牛頭のミノタウロスが潜んでいたのである。クレタ文明の全ての都市に迷宮があったという。発掘されたクノッソスの宮殿もまた、アンモナイトの殻のように夥しい小部屋を縦横につないだ迷宮で、其処を貴族の別荘群や商人や漁師の聚落が同心円状に取り囲む構造だった。

城壁を持たない平和な国。イルカや花々や目の前の陽光に輝く風景を写した色鮮やかな壁画。高度な技術で絵付けされた陶器の数々。そんな明るく洗練されたクレタの人々の生活の中に、迷宮があるというのも不思議に蠱惑的だ。光と闇、優雅さと暗黒。相反するものであればあるほど、両者を巻き込む渦の魔力は増大する。

クレタ島やマルタ島、ポンペイでも、地中海世界では、入り口からすぐに十字型に仕切られた壁を持つ腸状迷宮文様は好まれたようだ。クレタでは紀元前千年ころの貨幣にまで迷宮が刻印されている。トロイア戦争の戦場トロイアも内臓を意味するtiran=troiを語源とするという。

エジプトの渦巻き文様はシッポの所でつながった形や、蚊取り線香のように二重になったものなど、どれも洗練されて美しい。

貴石でできたスカラベに彫られた連続渦巻きはかわいらしく、アクセサリーに欲しくなってしまうが、死者の再生を願った聖なるスカラベと渦巻き文様である。軽薄なもの欲しがりは控えよう。

かろやかな渦は腸よりも目の力、特に額の真ん中にある第三の目の威力の象徴でもある。ファラオの王冠の、とぐろを巻いた蛇もその一つだろう。第十二王朝のレリーフには、ファラオの二重王冠の前頭部に、蝶々の口吻のような渦巻きが飛び出している像がある。不思議にみやびやかな姿だ。これも第三の目の光の表現と言われている。

そういえば 仏像の眉間の白毫も普段は白い毛が螺旋状に巻き込まれていて、時にそれを光のように伸ばすのだそうだ。ファラオの冠の図像が遥かにヘレニズムを経て仏像の姿に影響を与えたのではないかと想像すると楽しい。

ついでだが、仏像のおへそは右回りの渦になっている。
インドでは渦の一種卍がヴィシュヌ神の象徴なので護符として盛んに描かれた。左回りと右回りと、国によって吉凶を異にするが、ともかく吉祥文として卍は紗綾形などに変化しつつ、中国から日本に伝わった。祥瑞茶碗にも品格ある文様として描かれている。

祥瑞(しょんずい)小服茶碗にゆらめく紗綾(さや)形文様 祥瑞(しょんずい)小服茶碗にゆらめく紗綾(さや)形文様

テレビドラマ大岡越前のお白洲の襖の文様として紗綾形を御覧になった方も多いだろう。宇宙の守護者ヴシュヌ神の護符と大岡越前、なかなかの取り合わせである。

中国の新石器時代の土器、彩陶は堅牢な焼き物で、赤や黒の色彩で描かれた渦巻き文様が今もはっきりと残っている。渦巻き文様は副葬品にのみ使われたという説は近年改められたらしいが、煮炊きに使用した跡は見えないので宗教的な器だったのだろう。

その後も中国の渦巻きは龍の巻き起こす雲気となり、瑞雲となって格調ある文様として描き続けられた。

白川静の字通によれば「神」という字のもとの形「申」は、二つの繋がった蕨(わらび)手状の渦巻きをあらわしているという。雷も、もとは壘の下の土を消した恰好で、この田の形は古くは渦の形象だったという。雷雲は神霊の渦なのだろう。ラーメン丼のふちを飾る雷紋(四角くデザインされた渦巻きの繰り返し文様)は、いと厳かな歴史を秘めているのだ。

古赤絵雲堂手湯のみ。赤いバンダナの人物はただの人ではなく雲に乗る道士かも。 古赤絵雲堂手湯のみ。赤いバンダナの人物はただの人ではなく雲に乗る道士かも。

日本でも渦巻き文様のあふれた季節があった。縄文時代である。ダイナミックなストローク、氾濫する勢い、縄文の渦巻きは岡本太郎もしびれさせた生命力にあふれている。土器の野焼き体験をした人なら分かるだろうが、縄文土器ほど大型で装飾にあふれたものを焼成するのは至難の業である。片手間に出来る仕事ではない。熟練した専門家集団がいたのだろう。

ちょうどその頃、ユーラシア大陸の反対側でも夥しい渦巻き文様が創出されていた。日本と同じような潮流の中の島国アイルランドも渦巻き文様の王国である。ニューグレンジの巨石に刻まれた神秘的な渦巻き文様はあまりにも有名だ。

以前十和田湖を見に行って、近くの大湯環状列石遺跡に立ち寄ったことがある。規模は違うが、ストーン・サークルとよく似た環状の石組みの遺跡である。今は整備されているらしいが当時は夏草を風が通るだけで人影もなかった。真昼の静寂の中に列石は太古とかわらず日を浴びていた。小石を並べた所はスカンジナビアやフィンランドの石迷宮とも似ている。

その辺りでは縄文土器も多数見つかっている。ストーン・ヘンジの入り口の巨石に渦巻きを刻んだ人々と、縄文の人々。それぞれどんな思いを石に託したのだろう。

その後のケルトの渦巻きと結び紐文様のゆたかさは最近よくしられるようになった。生き物のようなケルトの渦巻き文様を眺めていると視線は次から次と引きこまれて酔ったような気分になる。悲壮なまでの精緻さに、ふと血の匂いを感じてしまうのは私だけだろうか。

ヨーロッパの西の端と極東と、どうしてこんなにも多くの渦巻き文様が描かれたのか。

アイルランドのケルトの渦巻きはキリスト教を受け入れた後も生き残り、聖書写本に、墓標に、日常にも描き続けられた。一方、日本では、仏教美術の唐草の中に飲み込まれたかのように渦巻き文様の影が薄くなってしまう。なぜだろう。あの縄文のエネルギーはどこへ昇華されてしまったのかと不思議になる。

もちろん渦巻き文様は完全に消えてしまったわけではない。着物の地模様や小紋など控えめな役割を、今にいたるまで担い続けている。能衣装に、たまにちょっと派手なものがある。また、渦文様の一種の三つ巴は太鼓に描かれて、今に伝わっている。太鼓には二つ巴もあって、置く場所など色々決まりがあるらしい。ともあれ雷神様の太鼓も三つ巴である。そのせいかどうかしらないが神道家の家紋に巴紋は多い。

寺社の丸瓦の瓦当紋は飛鳥や奈良時代は連弁が主流だったが、平安時代頃から三つ巴がとってかわるようになった。これも大雨を降らす雷雲の意匠の威力で、火気を避けようという願いが込められているのだろう。

卍文にしろ、紗綾形、巴、等々、多彩なヴァリエーションを生むのは、日本の文様の特徴かもしれない。

水の流れの中にあらわれる渦の図は陶磁器の絵付けにも、漆に、染織に、数限りなくえがかれている。さまざまな季節の景物と組み合わされた水流は日本人好みなのだろう。

尾形光琳の紅梅白梅図の水の渦は単なる水を越えて時空を巻き込み流れてゆく、なにものかの姿のようである。また乾山の角皿に絵付けされた水の図は、たゆたう水の広がりをとらえて、天才の意匠に感嘆するばかりだ。光琳は水を描くことに執着していた気がする。しかし、水流の文様についてはまた別の機会にしたい。

渦文様だけを描いたものとしては、江戸時代後期に、「馬の目皿」がある。手馴れた筆捌きでグルグルと連続した渦を描いた素朴な皿で、瀬戸地方で大量に作られた。蛇の目が同心円なのに対して、一筆描きの、「馬の目」の渦の中心は偏っている。鉄錆色で勢い良く描かれた渦巻きは、優しい馬の目とはイメージが違うような気もするが、馬の目皿の素朴な風合いは今も愛されている。

やはり江戸後期につくられた青手古九谷にも様々な渦巻きが描かれている。それらはあるいは地紋として塗り埋められ、あるいは皿の裏側であったりと、図柄を支える縁の下の力持ちさながらである。

青い桜の文様の皿の裏の雲気の渦 青い桜の文様の皿の裏の雲気の渦

古九谷には幾何学文様といって四角形や六角形を並べた大胆な意匠があるが、渦巻き文様だけを描いたものは見たことがない。器の縁や高台の縁取りになら、私自身もよく描くのだが。

西欧でも、文様は絵や文字の縁取りとして従属的な役割を担ってきた。しかし絵や図柄の流行り廃りは早いが文様は生き残る。

神秘的な渦巻き文様がなくなることはないだろう。先に「子供の遊びに、いにしえの神事の姿が残っている」と書いた。今も、目を廻したアニメのキャラクターの瞳の中に、ほっぺの赤みのなかに、渦巻き文様は現れては消える。

帆の裂けし朱塗の喪船ただよへる渦のおもてに日は苦く照る  谷川健一

民俗学者として日本人の魂の奥処を巡り続けてきた作者の絶望は深い。帆の裂けた船は作者の心でもあり、日本の現状の象徴でもあるのだろう。行く先の分からない喪の船を、渦さえも悼むかのように不思議に静かに陽光に煌く。

轆轤に乗せて皿に渦を描こうとすると実際目が回る。渦巻き文様について書こうとすることも、夥しい類例や書物をまえに眩暈を感じずにはいられない。古代の渦文様の魅力に巻き込まれて、身の丈に合わない大風呂敷を広げてしまったのかもしれない。

※渦と螺旋の違いは、しいて言うと螺旋の方が立体的であるような印象がありますが、文様化した場合はあまり違わないので日常の言葉遣いに従って使い分けました。

橋本薫

1974年より、九谷須田青華窯にて食器作りを習い、
1985年に独立。橋本俊和とともに石川県加賀市に曽宇窯を開く。
水音涼やかな川辺の住まいと工房で、器制作、読書、俳句、料理、猫との暮らしを楽しむ。
うつわ歳時記  http://www7b.biglobe.ne.jp/~utuwasaijiki/