器にひらく文様 / 橋本薫

石榴(ざくろ)と桃

葉陰に青い小さな桃の実がたくさんついているのが見える。手入れをしないので色付く頃にはあらかた落ちてしまうのだけれど,花が咲いてちゃんと実になるというのが、なんとなくたのもしい。石榴も梅雨めいた空の下で暑苦しいほど派手な朱色の花を掲げている。工房の前のささやかな庭に、二本の木は季節のうつろいを知らせてくれる。石榴と桃、それぞれ吉祥文様としてしたしまれてきた長い物語を持っている。

この二種の果物に仏手柑(ぶっしゅかん)を加えたものを三多と呼んで、最近はあまり見ない図柄だが豊穣と繁栄を意味する。

仏手柑の味は想像つかないが、桃の柔らかな果肉は食べてもらいたがっているかのよう。石榴はその点種が多くて、多産なのはいやというほど分かるが食べにくい。しかし両者にはなにか 深い因縁があるようなのだ。

桃の原産地は中国の黄河を遡ったあたりとか。桃花源記を髣髴とさせる出自である。何しろ桃は仙界の女王西王母の持物。崑崙山(こんろんさん)が彼女の住処だ。その庭に生えるという三千年に一度実る仙桃を食べて、孫悟空も東方朔(とうほうさく)も数千年の長寿を得たのだから、地上の桃にも、仙界の余香が漂っていて不思議はない。桃は不老長生と繁栄の寓意となった。桃源図は枚挙に暇がないし、詩も多い。謫仙人(たくせんにん)とあだ名された李白はさすがに桃花の扱いが上手い。

山中問答  李白

問余何意棲碧山  どうして碧山に棲むのかと人は問う

笑而不答心自閑  笑って答へず心は自から閑に

桃花流水杳然去  桃花流水、杳然として去りゆく

別有天地非人間  世間と違う天地が別にある

ゆったりと流れ行く桃の花に、李白は今この場所こそが桃花源・仙境だとの思いを乗せているのだろう。

西王母の庭に生えていた桃は蟠桃(ばんとう)という小さい桃だったという。先のとんがった天津水密形の桃がでまわってからというもの、キュートなとんがりがイメージにぴったりだったのだろう。以後、描かれた西王母の桃はみなその恰好になってしまった。たしかに絵に描くときはただ丸いよりも変化があっておもしろい。単なる丸というのは意外に描きにくいものだ。

長寿と繁栄となれば、これほどめでたいものはない、というわけで、桃文様は器に、衣服に、様々に用いられた。

古染付の向付に、桃の木に登って実を採っている猿の図がある。当時の陶工たちも西遊記を読んだのだろうか。器体が桃形なのもあるし、石榴形、石榴と桃の組み合わされた形等など、古染付の向付は実に多種多様で楽しい。

古染付けの桃の木に、猿の向付を少し大きい鉢にアレンジしたもの。(曽宇窯) 古染付けの桃の木に、猿の向付を少し大きい鉢にアレンジしたもの。(曽宇窯)

絵画では、台湾の故宮博物館にある乾隆帝の宮廷画家カスティリオーネの絵がおもしろい。花と実がいっしょについた桃の木に、ワオ・キツネザルが坐っている。細部がリアルすぎてかえって非現実的な印象の絵である。孫悟空のモデルはキツネザルという説はこんな頃からあったのだなぁと感心するが、遠いマダガスカル島の猿をカスティリオーネはどこでみたのだろう。大帝国清には珍奇な動物も蒐集されていたのだろうか。

ざくろの方の起源は諸説ある。ローマの博物学者プリニウスによれば原産地は北アフリカのカルタゴであるとされる。他にも、イランのザクロス山脈だとか、いろいろで、専門家でもない私にはよく分からない。同様に石榴文様もまた、様式化されて、他の豊穣のシンボル、ナツメヤシとか、蓮の種袋とか呼ばれる図柄と非常に紛らわしい。それでも食べられる実のなる植物は数多ある中で、中東において石榴が特別な地位をしめていることはたしかである。

ペルセポネーが、冥界で口にしてしまったのが六個の石榴だった。ペルセポネーはギリシャの豊穣の女神デメテルの愛娘である。ためにペルセポネーは六ヶ月の間冥界にとどまらなければならなくなった。その間女神は哀しみ、地上の植物は枯れはてる。

デメテルにはメソポタミア文明の大地母神のおもかげがある。シュメールの豊穣の女神イナンナもセムのイシュタルも地下の冥府へ下り、また甦った。植物のように。

イナンナは恋人を地下世界においてこなければならなかった。

死の国のものを食べて地上に戻れなくなった人を求める神話は多い。オルフェウスとエウリディケ、そして古事記の伊邪那美(イザナミ)命と伊邪那岐(イザナギ)命。

黄泉戸喫(よもつへぐい)をして死穢にまみれた姿を見られた伊邪那美が、誇り高くも「我に恥見せつ」と差し向けた地獄の追っ手を、伊邪那岐は三個の桃と、桃の木でできた櫛の歯で防いだ。桃は邪気を祓うという中国の信仰をいちはやく受け入れている。これだから鬼退治に出かけるのは、西瓜太郎でも柿太郎でもだめで、桃太郎でなくてはならなかったのだ。

桃は邪鬼を祓う。雛祭りの桃もそうだ。一年の穢れを雛に託して流し、桃で邪気を防げば万全というわけだ。

石榴と桃は、死者の国と人間の間に置かれている。

お釈迦様が、人の子を食う鬼子母神を悔悛させ、子供のかわりに石榴をあたえたという説話は、良く知られている。先ほど少し触れた、アッカドの女神イシュタルには茶吉尼(ダキニ)天を連想させる戦闘美少女の顔があって、鬼子母神の起源はそういったオリエントの女神だったのではないか、と思わせる。石榴はもともと彼女の持物だったのではないか。多くの宗教は、別の宗教の神々を、悪魔か鬼にしてしまう。キリスト教が中近東の神々を悪魔とみなしたように。その点、仏教は柔軟で、異教の神でも改心しさえすれば護法神として活躍できたのだ。鬼子母神は石榴片手にシルク・ロードをひとっとびして中国へそして極東へと舞い降りた。

初めて石榴を食べたときのことをおぼえている。深紅の果肉を切り分けながら母は「石榴は人間の肉の味と似てるんですって」と微笑みながらいった。恐る恐る食べてみたが、薄気味悪いし食べにくいし、すぐやめてしまったとおもう。モケモケした真っ白な皮の裏に赤い実が零れて、きれいでもありちょっと怖くもあった。そんなためらいも遠い昔。今では石榴のジュースは大の好物である。

余談になるが、西遊記には長寿をもたらす果物として、桃の他に、例の赤ちゃんそっくりの人参果が登場する。朝鮮人参の形状からイメージしたのだろうが、三蔵法師ならずとも、あまり食べたくはない姿かたちである。

中国の6世紀ごろ書かれたという「述異記」には「アラビアのもっと西の国には、ものを言う木がある」とかで、人間や動物の頭だけが木から生えて鳴いたり話したりする図がある。アレクサンダー大王も遠征の途中でものをいう木を見たという。その木は大王の未来を予言したともいう。

果物の豊富な南の方に行くと人間形の木の実も大きくなるとみえて、タイの仏教説話に描かれた人参果は子供ほどに成長している。またヴェトナムには美少女のなる木があるらしい。旅人はその実をつんで妻にできるが数日で腐るとか。

逆にアラビアでは、東の国ワクワク島に、人のなる木があるという。ワクワク島って素敵な名前だと思ったら、これが倭国、つまり日本のことらしい。東でも西でも自国からなるたけ遠い所に不思議な国があると想像したのだろうか。このあたりのことは中野美代子著「中国の青い鳥」等を参考にした。

桃と人参果は置き換え可能。石榴は子供と置き換え可能なのだ。人間形の実をはさんで仙女と鬼神は相対している。

西王母の桃が実ると、仙人たちは集まってお祝いをする。蟠桃会といって、孫悟空が暴れたのもその会場である。其処には、麻姑という十五六の美少女に見える仙女もお祝いにやって来る。西王母と麻姑の居並ぶ姿はめでたい絵としてしばしば描かれる図柄である。麻姑ちゃんは実は鬼子母神とおなじ茶吉尼天の眷属で、手のかわりに鋭い蹴爪をもっている。ついでながら、お土産屋さんで売っている「孫の手」とは本来はこの「麻姑の手」だった。相当きつく掻き毟られそうである。桃と違って石榴には鋭い棘があるのだ。

この崑崙山のパーティーで、西王母と鬼子母神はきっと出合ったことだろう。桃と石榴をそれぞれ手に持って。

王冠をかぶった石榴ととんがり頭の桃は、形もおもしろいが、色彩の濃艶さもまた目を喜ばせてくれる。古来、臙脂の紅も茜や紅花の緋色も、ただ貴重なだけでなく、色そのものに魔よけの意味があった。紀元前のインドのヴェーダ経典にも紅を顔に塗ると書いてあるそうだ。女性の顔に紅をぬるのは単なるお洒落ばかりではなかったのだ。赤は、血の色、生命の輝きの色である。桃と石榴の図像は多産と豊かな実りの寓意だけでなく色でも癒してくれる。いつの時代も人の願いはあまりかわらない。健康や長寿は誰でも願うが誰にでも与えられるものではない。唐代の美人俑の額にほのかに残る一片の紅は、そんな願いを今に伝えていとおしい。

桃の歌といえば思い出すのは万葉集のこの歌。

春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ乙女  大伴家持

初々しい赤い頬の乙女の姿が目に浮かぶ。桃の乙女は桜姫よりかなり血色がよさそうだ。紅顔は若さのしるし。健康的な「さ丹づらふ」乙女はそれだけで邪気をはらうに充分かもしれない。

赤絵石榴文湯のみ(曽宇窯) 赤絵石榴文湯のみ(曽宇窯)
青呉須手大鉢(曽宇窯) 青呉須手大鉢(曽宇窯)

14から15世紀、明時代初め 永楽や宣徳年代の端整な染付磁器はシルク・ロードを渡り世界中で珍重された。トプカプ博物館館には中国陶磁最大級の大皿が集められている。また、それらを見習った焼き物も各地で作られた。シリアの古都ダマスカスやイランのニシャプールからは、やや明るい色の染付けで中国的な花鳥文の描かれた皿が出土している。そこには勿論、桃も石榴も描かれていた。文様はめぐりめぐる。

ルネッサンス絵画にも石榴文様はさまざまに描かれている。ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの有名な「東方三博士の礼拝」では中央の一人が豪華な金色のザクロ文様の衣服を身にまとっている。石榴とはっきり分かるのは、その衣装をまとった人物の出自をしっかりとしめすためだろう。

文様にあふれた衣装に着飾った貴族たちの肖像画は、ルネサンスの人々が東方から齎された文様にどれほど魅了されたかを物語っている。シルク・ロードは文様の道だったのだ。

動物や人間のなる木もヨーロッパのグロテスク文様の中に復活してくる。さまざまな寓意やシンボルを孕んだ文様が時を越えて広がり変化していく有様は、まるで初めも終わりもない唐草文様さながらである。思いがけない所にまで繁茂し、消えたと思った花が、時を経てあらたに咲きだす。石榴文様はその後も長く生き延びて、ウィリアム・モリスの壁紙の中にも優雅な曲線を描いている。

先の尖った東洋の桃はヨーロッパには知られていなかったので、中国陶磁に描かれた桃を、玉葱と勘違いした。それがマイセンのブルーオニオン・シリーズの始まりだというが、本当だろうか。

ヨーロッパで磁器が作られるようになる17世紀ごろ、日本の伊万里焼も東インド会社を通じて運ばれ、大いに人気を博した。石榴や桃の他にも大根とか橘とか日本の縁起の良い風物も描かれていたはずなのだが、そちらはパッとしなかったようである。

伊万里や色鍋島の華やかな色彩と桃はよく似合う。

古九谷にも「桃の木に双鳥図」がある。が、それは吉祥文様というより、余白をいかした花鳥画のおもむきである。全体に、吉祥よりは歳時へ、めでたさよりは風情へと向かうのが、どうも日本人好みのようである。

今夜は久しぶりに桃の葉湯でもしてみようか。子供の頃、汗疹(あせも)に効くとかで、よく桃の葉を浮かべた行水をさせられたものだ。石榴の花も一緒に入れて不老長寿の湯というのはどうだろう。仙女たちにあやかってアンチ・エイジング…は無理としても、シルク・ロードをめぐる桃と石榴の、文様の旅に思いを馳せるのは、楽しいものである。

橋本薫

1974年より、九谷須田青華窯にて食器作りを習い、
1985年に独立。橋本俊和とともに石川県加賀市に曽宇窯を開く。
水音涼やかな川辺の住まいと工房で、器制作、読書、俳句、料理、猫との暮らしを楽しむ。
うつわ歳時記  http://www7b.biglobe.ne.jp/~utuwasaijiki/