器にひらく文様 / 橋本薫

蝶

蝶の翅のきらびやかさに驚くたびに、自然は装飾を好むのではないかと思う。薄暗い林の中に瞬く眸のような斑紋。仮面舞踏会のマスクさながら、蝶は踊る。

夏休みのある日、河原に黒揚羽が、異様なほどたくさんとまっていた。そっと近づいてみると、何か腐ったような、ひどく汚いものが石の上にひろがっていて、黒蝶はそれにむらがっているのだった。ひそかな喜びに震えるかのように羽を揺らめかし、汚穢をむさぼる姿は美しく妖しく、黒蝶を地獄蝶ともいうことを、子供心にもなるほどと思った記憶がある。

蠱惑的な蝶。しかし指につく鱗粉は禍禍しい。美しいものはどこかにおぞましいところがある。 蝶は沖縄では巫女の着物の文様であり、祖霊と考えられてきたという。この世と彼の世を往き来する精霊の蝶はかぎりなく魅惑的で、そして怖しい。

蝶を魂の乗り物と考えたのは日本人ばかりではない。ギリシャ語の魂・気息をあらわすプシュケーは蝶のことでもある。人から離れた最後の息が蝶になるというイメージは美しい。ローマの石棺にも魂を吹き込むものとして蝶の姿が描かれている。ミイラのような蛹から優美な蝶への変身は、他界への神秘的な再生を、古代人ならずとも夢見させずにはおかない。

儚いものの美しさをことにも好む日本人にとって、蝶はうってつけのシンボルにちがいない。家紋になった動物の中で一番多いのが蝶だそうである。平家の家紋で有名な横向きの揚羽蝶は、落人伝説の残る里の家々の、柱の裏に今もひっそり息づいている。

福井と滋賀の県境、木の芽峠近くの山里へ蕎麦を食べにいったことがある。福井県の山里は知る人ぞ知る蕎麦どころである。たまたま、老夫婦二人だけのお住まいに上げていただいた。雪国ならではの黒光りする柱に巨大な梁の渡された、すばらしい家で、大きすぎるほどの囲炉裏には鉄鍋がかかり、巻物のように立派な昆布巻がぐつぐつと煮えていた。 立ち去る時にふと見ると、玄関に、あの蝶がいた。「平家の御紋ですね」とふりかえると、おばあさんは「そうです」と答えて静かに微笑まれた。雪に鎖された厳しい冬を幾度蝶とともに過ごしてこられたのだろう。杉木立の山道を歩いても、近くにお店どころか人の住んでいる家もないようであった。

家紋の話に戻ろう。 平家ばかりではない。華麗に滅び、美しく再生する蝶は、武士の理想のエンブレムだったろう。江戸時代には、大名旗本を含めて二百以上の蝶の家紋があったという。アゲハチョウの羽が扇の形にデザイン化されたもの、蝶丸、双蝶、多彩な紋所の数々はこれほど蝶を愛する民族はいないのではないかと思いたくなるほどだ。

とは云うものの、この目を惹く昆虫が万葉集に歌われなかったのは不思議だ。日本書紀にスクナヒコナのミコトが蛾(ヒムシ)の皮衣というシャーマンめいた衣装で登場するが、それさえ本当に蛾なのかどうかいまだ断定にいたらないらしい。あれほど自然の息づかいに敏感な万葉の人々が何故歌わなかったのか。

もちろん漢字の「蝶」とその音(てふ)が入ってくるのは8世紀ごろの事で、それ以前、この虫は日本各地で、さまざまな名前で呼ばれていた。多くは「かはひらこ」など「ひら」とか「へら」とか云う音が入っている。一説にその「ひら」は東北地方の「シラ」→「おしらさま」と関連があるともいう。日本の蝶のデザインの中には蛾を思わせる胴体の太いデザインも多い。おシラ様のように女性が信仰をになってきたところには当然養蚕信仰もあったろう。おシラ様に憑かれる女性たちは川原に機を織るタナバタツメの末裔なのかもしれない、と想像するのは楽しい。

歌とおなじように、蝶蛾の文様もやはり少ない。古い時代だから残っているものがまず少ないとはいっても、タブーでもあったのではないかと、かんぐりたくなる。

平安時代に入ると、蝶はあでやかに舞い始める。姫君たちの和鏡の裏に夥しく鋳造された蝶は、鏡もまた魂を写す物だからこそ、相応しい文様として愛されたのだろう。

源氏物語「胡蝶」の巻に描かれた舞手の童子たちの衣装の華やかさはめくるめくばかりだ。「秋好中宮御読経のとき」という仏教的な場に、古来からの、蝶を精霊(ショウリョウ)とみなす信仰が揺曳している。

藤原時代には仏具に蝶の意匠が目に付く。高野山にある金銅製の磬などすばらしい意匠と思う。古代ミュケナイの黄金の蝶にも似た、胴の太い立派な蝶だ。はかなげなところなど微塵もない。

立派も完璧ももちろんけっこうだが、私には身ほとりで使われてきた、文箱や、文字通り蝶番になっている、さりげない金具類の蝶のほうが好ましい。人の手になでられて丸みを帯びてきたものたちはみな愛らしい。持ち主と一緒に壊れていってくれる小さな働きものの蝶たち。

「虫愛ずる姫君」の話で有名な堤中納言物語は、貴族時代の終わりごろ纏められた。それは蝶をめずるのが多数派だったことを教えてくれる。しかしまた群蝶は不吉と忌み嫌われたのだから、蝶への相反した思いはこんなところにもちらちら尾を引いているのかもしれない。

    うすく濃き苑の胡蝶たはぶれてかすめる空に飛びまがふかな   後鳥羽院

「吾妻鏡」に、鎌倉に黄蝶が大発生して北条氏に吉ならずという宣託を得た話がある。あたかも天皇の歌の呪力であるかのように。

当時、蝶の大発生はしばしばあったらしく、さまざまな人の日記に記録されている。今から見れば些細とおもわれるようなできごとにも、何かの意味を読み取りたかったのだろう。大きく移り変わってゆく時代に翻弄される人々の寄る辺のない心が、思いやられる。

この時代の蝶にまつわる物語で忘れられないものに鴨長明の発心集にある大江佐国の転生譚がある。佐国は世に知られた博士で生前深く花を愛し「他生にも定めて花を愛する人たらん」というほどであった。しかしある人が夢で蝶になった佐国に会ったと語ったので、佐国の息子は「罪深く覚えて」、あるいは父が蝶の姿で迷っているかもしれないと遺愛の花園を丹精したという。

あはれ深い話と思う。この説話の蝶の儚さは遊離魂プシュケーの無力さと良く似ている。
佐国のエピソードは、花を愛することすら妄執であるという仏教の教理の厳しさもさることながら、甘い痛みにも似た、もののあはれの美感を、より深く、聞くものの心に残す。あちらともこちらとも知れずたゆたい飛ぶ蝶々。あれかこれかの二分法とは無縁な蝶のありさまは、人の心の揺れ方そのものかもしれない。

武士がその衣装に綺羅を尽くすようになって、蝶文様は輝きを増してくる。織田信長の陣羽織の背中いっぱいの、髑髏めいた白蝶のインパクトは凄いとしか言いようがない。髑髏プリントやスカルのアクセサリーの好きな若者にみせてあげたい。

桃山時代の蝶文様といえば、まず思い浮かぶのは白山三馬場のひとつ、岐阜の長滝白山神社宝物の狩衣である。いちめんに縫い取られた巨大な蝶は、桃山らしい派手やかな色彩を纏っている。重々しい羽音が聞こえてきそうな堂々たる蝶々だ。だが、蝶文様にはめずらしいほど長めな足は、なぜか八本ある。そんなことどうでもいいじゃないかといわんばかりのおおらかさで、大好きな文様なのだけれど、どの蝶も全て八本足なのだ。きっとこの世ではない別世界の蝶なのだろう。1月の長滝神社の延年の舞には、不思議の蝶に会いに行きたい。

年年に、どこからか訪れてくれる蝶はまた、嬉しい春のことぶれであり、春の季語でもある。

   うつつなき抓(つま)ミごころの胡蝶かな  蕪村

実体のあるとも思えない蝶の儚さ。指先のおぼつかなさが、夢の中で夢をみているかのような春の気分を誘う。蕪村の春の句はどれもいいが、この句も「荘周胡蝶の夢」の話を触感で句にしたところがおもしろい。この挿話も、蝶を魂の形と見る長い歴史があるからこそ人の心の深いところにふわりと触れてくるのだろう。

江戸時代、詩歌にも器にも、蝶は存分に飛び回る。 古九谷の牡丹文大皿には豪華な大輪に揚羽蝶が遊ぶ。牡丹と蝶は中国では富貴と長寿をあらわす組み合わせらしい。孫引きだが、岡泰正によると同音の吉字と掛けて蝶は八十歳のことだそうだ。蝶が、長寿のしるしとは、なんとなく違和感がある。だが、江戸の人々にとって美しい蝶は、はかなさを意味するだけではなかったのかもしれない。佐国の物語のようにそれが妄執なのだとしても、美的愉悦は現世の荘厳である。蝶の羽の多様さの中に、繰り返しながらもそれぞれ違う、自然の豊穣の証をみたのではなかったか。蝶という最もはかないものの上に顕現する永遠の相貌に人は魅せられてきたのではないだろうか。

時々出して眺める藍古九谷の中皿がある。薄手の器体に染付の藍の濃淡だけで可憐な蝶が描かれている。それは今まさに草の中へと落ちてゆく所だ。皿を裏返すと朝顔が一輪添えてあって「槿花一朝の栄」の寓意を示している。逆さになって落ちてゆく姿に、エミール・ガレの有名な蜻蛉の花瓶がふと二重写しになった。ガレのトンボは美々しく悲劇的に生のはかなさを謳うが、小さな蝶は人知れず潔く、まっさかさまに落ちてゆく。

プシュケーにはもう一つの顔があるという。ポンペイの壁画「羽のあるエロスと蝶」に表現された浄化された魂の姿だ。仏教においても、光を求めて炎の中に飛び込み身を焼く火取り虫(蝶蛾の別名)は、煩悩を滅却して霊的に甦る魂を象徴している。変身者の蝶にとって、この世で滅びることは別の階梯への移行にすぎないのだろう。

蝶に寄せて、人はなんとさまざまな思いを巡らせてきたのだろう。古代の魂を運ぶ精霊の虫は仏教の教えの中に生まれ変わった姿を見せる。文様の蝶も、秘められ、背中に回り、そしてなにごともなかったように甦って、途絶えることはなかった。

可愛い青い蝶はそんなことなどそ知らぬ風にお皿の上に永遠に落下し続けている。

古九谷には、また、器全体を上絵の具で覆った、青手とよばれる作品群がある。ここでいう「青」は真夏の山を「青い山」というときの、あの濃い青緑のことである。日本の青は、奥が深い。さて、その青手の中に、青緑の絵の具を器体に施し、その下に漆黒の蝶を塗りこめた豪奢な台鉢がある。見込みいっぱいに翅をひろげ向かい合った二頭の揚羽蝶は、まさに常世の蝶である。底知れない深緑の奥に、瀬音の中の翅のざわめきが響いてくる。あの夏の日の、黒蝶の地獄の宴が、ゆらゆらと立ち上がってくる。

制作・撮影|橋本 薫 制作・撮影|橋本 薫
橋本薫

1974年より、九谷須田青華窯にて食器作りを習い、
1985年に独立。橋本俊和とともに石川県加賀市に曽宇窯を開く。
水音涼やかな川辺の住まいと工房で、器制作、読書、俳句、料理、猫との暮らしを楽しむ。
うつわ歳時記  http://www7b.biglobe.ne.jp/~utuwasaijiki/