ハマスホイの部屋へ / 萬屋健司

イーダ・イルステズの肖像

大切な人の姿をいつまでも見ていたい。その影を、自分の手の届くところに留めておきたい。それは家族だったり、恋人だったり、尊敬する誰か、あるいは神様といった目に見えない存在だったりもするわけですが、人ははるかな昔から、自分以外の誰かの像に心惹かれる本能のようなものをもっているのでしょう。古代ローマの著述家、プリニウスによれば、絵画の起源は旅立つ恋人の影を壁に象ったコリントの乙女だそうです。

西洋美術に長い歴史をもつ肖像画は、その表現や意図にもさまざまなものがあります。写真が発明されて、肖像写真が一般市民にも手の届くようになった19世紀半ばより前の時代、肖像画の多くはなによりも王侯貴族の権力を示すためのものでした。また時には、今でいうお見合い写真の代わりだったり、あるいは画家の自我の表象だったりもしますが、いずれにしても、市井の人々には縁遠いものだったといえます。一般の人たちが身のまわりの大切な誰かの肖像を手にすることができるようになったのは、今からおよそ150年ほど前のことでした。

19世紀後半、都市の拡大とともに西欧の文化の担い手は王侯貴族から一般大衆へと移行していきます。それまで絵画に描かれていた、あるいは描かれるべきだと考えられていた主題は、古典古代や聖書の物語でしたが、この頃から、徐々に日常生活のひとコマや身近な人物、または都市の名もない一般大衆が描かれるようになります。印象派の絵画には、そうした“普通の”人々の生き生きとした日常が描写されています。19世紀の終わり頃には、画家の家族や友人、恋人たちは、聖書に登場する人物や、ギリシャ神話の神々と同じくらい、時にはそれ以上に“まじめな”主題になったのです。

イーダ・イルステズの肖像 《イーダ・イルステズの肖像》
1890年
油彩/カンヴァス
106.5 x 86.0 cm
コペンハーゲン国立美術館

今日、「室内画の画家」として知られるハマスホイが、デビューしてから10年ほどの間にもっともよく描いていたのは、意外にも肖像画でした。とりわけ1890年前後には、いくつもの肖像画を描いています。それらは主にハマスホイのパトロンであった歯科医のA. ブラムスンの注文によるものですが、モデルは全てハマスホイと近しい人物です。そしてハマスホイの肖像画のなかでも、特に優れた作品の一つ、《イーダ・イルステズの肖像》が描かれたのも、この頃のことでした。

ハマスホイは1891年9月5日、生涯連れ添うことになるイーダ・イルステズと結婚します。この作品が描かれたのはその1年前ですから、その時、二人はまだ夫婦ではなく恋人同士でした。この作品のタイトルが、「イーダ・ハマスホイの肖像」ではなく、旧姓の「イーダ・イルステズの肖像」となっているのもそのためです。

ハマスホイは1890年6月、イーダの実家があるストゥベクービング(Stubbekøbing)に滞在していました。そこから家族宛てに、イーダと婚約したことを報告する手紙を送っています。

親愛なるお母さんへ

この手紙はみんなに宛てて書いています。僕はイルステズさんのお嬢さんと婚約しました。このことは、彼女のご両親も知っています。二人から、みんなによろしく伝えてくれとのことです。婚約のことは、まだ誰にも内緒にしておいてくださいね。

伝えたいことがたくさんあるのだけれど、どうにも堅苦しくなりそうだし、それになにから話していいのかわかりません。今月中に一度コペンハーゲンに戻ります。もちろん、彼女と一緒にね。・・・僕に手紙を書くときは、イルステズの店に宛てて出してください。そうすれば、受け取ることが出来ますから。・・・僕と僕の婚約者より、愛を込めて。

ヴィルヘルム

(1890年6月8日付 ヴィルヘルム(ストゥベクービング)からフレゼレゲ(コペンハーゲン)宛書簡より)

二人がいつ、どこで出会ったのか、詳しいことはわかっていませんが、イーダの兄、ピーダ・イルステズはアカデミー時代からハマスホイの友人でしたから、1890年より前に二人はお互いのことを知っていたのでしょう。ハマスホイの手紙からは、幸福な青年の姿を思い描くことができます。

《イーダ・イルステズの肖像》がいつ描かれたのかも、その正確な時期はよくわかっていません。おそらくは二人が婚約したあと、ハマスホイがイーダを連れてコペンハーゲンに戻り、そしてイーダがストゥベクービングに帰ってから描かれたのでしょうか。この肖像画には、もとになったと思われる写真が存在します。ハレーションで細部が飛んでしまっていますが、羽飾りのついた帽子をちょこんと頭に載せて、シックな黒のドレスにかわいらしいカーディガンを羽織った写真のイーダは、おめかしをした田舎のかわいらしいお嬢さん、という印象を与えます。プロの写真家の仕事とは思えないその写真を誰が撮影したのか、それも今のところかっていませんが、案外、ハマスホイ自身だったのかもしれません。ハマスホイが写真に興味をもっていたことは、彼の写真コレクションや書簡の内容から汲み取ることができます。いずれにしても、ハマスホイはきっと、イーダと結婚の誓を交わしたのち、しばらく離ればなれになる婚約者の写真を、手元に置いておきたかったのでしょう。

19世紀の末には、写真は広く一般に流布していました。家族や恋人の写真を所有することは、現代ほど手軽で身近ではないとはいえ、とりたてて特別なことというわけでもなかったようです。ですから、19世紀の半ばに登場した写真によって、もっとも深刻な“被害”を受けたのは、職業的な肖像画家たちでした。対象を正確に再現する、という点に関しては、絵画よりも写真のほうが遥かに優れていると考えられていましたし、今でも私たちは写真の“正確さ”に素朴な信頼を寄せているのではないでしょうか。

婚約したてのハマスホイが手にした、客観的で“ありのまま”のイーダを映しだしている(はずの)一枚の写真。しかし、せっかくの写真にグリッドを引いて、ハマスホイはそのイメージを、カンヴァスに移し替えます。ハマスホイはイーダの写真に満足できなかったのでしょうか。だとすれば、彼がイーダの写真に見たもの、そして写真には写っていなかったもの、それゆえに彼がカンヴァスに描きだしたかったものとは、いったい何だったのでしょう。

写真が告げるのは、そこに写っている対象が過去のある時点にその場所に確実に存在したということ、そしてそこに自分が居合わせていたのであれば、被写体と同じ時間と場所をかつての自分は共有したということです。アルバムを眺めながら思い出に浸っていると、懐かしい気持ちがわき起こってくるのは、そうした“事実”が裏付けとなっているからなのでしょう。しかし、それと同時に、写真はそれが完全に過去の出来事であることも示しています。そこに写っているのがどんなに活き活きとした情景であったとしても、それは過ぎ去り、消えてしまった時間の残像にすぎません。そういう意味で、写真は常にノスタルジックなものなのかもしれません。

写真がどの程度、あるいはどのくらいの頻度で“真実”を映しだすことが出来るのか、それは私にはわかりませんが、写真のもつ魅力の一つは、それが存在と不在の境目にあることのように思えます。彼女はそこにいる、でもここにはいない。映しだされたイメージが、明瞭すぎるくらい明瞭であるだけに、時にその不在は否定しがたく胸を穿つのではないでしょうか。

フランスの思想家、ロラン・バルトは写真についての美しいエッセイを遺しています。亡き母の写真を整理しながら、“本当の”母の姿を探し求めて一枚また一枚と写真に目を遣るバルト。しかし、どの写真にも、彼は母親の“本当”の顔を見いだすことが出来ず、二重の悲しみに暮れるのでした。

カメラのレンズは、ときに肉眼では見えないものを映しだしますが、見えているものを映しださないこともあります。自分の証明写真になんとなくがっかりするのも、それが普段、鏡のなかで見る自分の顔と違っている(ように思える)からで、「本当はこんな顔じゃない」という気持ちが働くからなのでしょう。そんな時、写真は本質(と自分が思っているもの)とはほど遠い、なにか空虚なもののように思えます。

イーダの写真は彼女の姿を写しだしてはいますが、そこにはハマスホイがイーダから感じた、彼女の本質的な部分はなにも宿ってはいなかったのでしょう。イーダの写真を横にカンヴァスに向かうハマスホイは、婚約者の“本当の”姿を、今まさに描きだそうとするイメージのなかに探し求めていたのかもしれません。 まるで空っぽの容器に少しずつ水を注ぐように、繊細で壊れやすいなにかを手探りでとらえ、そこに形を与えようと、注意深く、時に確信をもって、一筆一筆を静かにカンヴァスに置いていく。この作品からは、そんなハマスホイの姿が、なんとなく想像できるのです。それは彼女の優しさや繊細さ、柔らかな息づかいやはにかんだ表情、それら彼女を構成するあらゆるものを、イメージに充填する作業であり、そうすることで、離ればなれになった婚約者の不在を、彼は埋めることができたのではないでしょうか。この作品のたとえ難い魅力は、恋する若い画家が彼の恋人の、その純粋な姿を描いているという、そんなシンプルな理由に尽きるのかもしれません。

イーダは《イーダ・イルステズの肖像》が描かれた後、ハマスホイの妻となり、その後いくつかの肖像画と、そして室内画のモデルとしてハマスホイの作品に欠かせない存在となります。しかし、この作品のように、まっすぐこちらに視線を向ける姿は、この作品以外には知られていません。写真のイーダは少し視線を外していますから、この作品を描いている間、ハマスホイはきっとイーダと見つめ合っていたかったのかもしれません。

萬屋健司

1979年 長崎県に生まれる
旧大阪外国語大学デンマーク語科を卒業後、大阪大学大学院にて西洋美術史を学ぶ
大学院在学中にコペンハーゲン大学に留学
ヴィルヘルム・ハマスホイを中心とする近代デンマーク美術を研究
2008年帰国。同年国立西洋美術館で開催された
「ヴィルヘルム・ハンマースホイ-静かなる詩情」展の図録の一部を執筆
現在、山口県立美術館学芸員