ハマスホイの部屋へ / 萬屋健司

パンチボウルのある室内

大切に、心を込めて使い込まれた食器や家具。それらを目にして、なんとなくうきうきと、嬉しいような、羨ましいような、ちょっとくすぐったい気持ちになる。とってもささやかで、特別な出来事ではないけれど、きっと誰しも経験のあることだと思います。私も時々、友人の家や、ふらっと入ったお店で、そんな大切にされてきたモノたちに出会うと、人知れず上機嫌になったりします。

デンマークと日本を行ったり来たりの生活をしていた20代の頃、持ち物はできるだけ少なくしようと心がけていました。その感覚は日本に住むようになった今も抜けていないようで、私の部屋は殺風景なままです。本棚だけが奇妙な存在感を示している自分の部屋を改めて見回すと、まるでハマスホイの部屋のようにも思えます。でも、ハマスホイが暮らしていた部屋は、実際には彼が描く室内画のように「空っぽ」ではありませんでしたから、それを思うと、自分の部屋がますます空虚なものに感じられたりもします。

少ない持ち物の中には、新しいものもあれば、古いものもあって、気に入っているものも、それほど思い入れのないものもあります。それらの中で一番古いものは、実家から持ってきたコーヒーカップです。そのカップはなぜか家族にはあまり人気がなかったようで、食器棚の奥の方に追いやられていました。ちょっと大きめで、赤と青のラインが入ったシンプルな白いコーヒーカップ。まだコーヒーが飲めない子供の手にはちょっと大きすぎたと思いますが、あるいはそれだからこそ、どっしりとしたその重みがなんとも魅力的に感じられたのかもしれません。ある日、食器棚の奥から引っぱりだされたこのカップは、それから後、私と一緒にいろいろなところに行くことになりました。

私の実家にあったくらいですから、それは大量生産の安物のコーヒーカップだと思います。それでも、毎朝熱いコーヒーを飲みながら、ふとカップに目を遣ると、なんとなくほっこりした気持ちになるから不思議なものです。

持ち物が少ないこともあって、私自身、わりと物持ちが良いほうだと思います。でもハマスホイにはかないません。彼は私なんかよりももっと、モノに対する愛着が深かったように思えます。それに彼は自分の価値観に合うものを見分ける卓越した鑑識眼を持っていましたから。そんな彼が選ぶのは、いつも上品で洗練されたモノでした。それらは彼の室内画に登場します。時には後ろ向きの女性の片隅に、そして別の時には、「私こそがこの部屋の主なのよ」といわんばかりに。

時代を追ってハマスホイの室内画を見ていくと、その時々でよく描かれるモノとそうでないモノがあることに気づきます。例えばアンティークの椅子。背もたれのデザインが優美な白い椅子は、1890年代後半から1900年代前半の室内画によく登場します。この椅子はシルエット自体が特徴的で、それだけでも十分に絵画の主題になりそうです。実際にハマスホイの義理の兄、ピーダ・イルステズは、この椅子と同じタイプの椅子を描いて「椅子の肖像画」とでも呼べそうな作品を遺しています。

しかし、1900年代にはいると、白い椅子に代わって背もたれにリボンのような装飾がついた茶色の椅子が多く描かれるようになります。この椅子には少なくとも2つの種類(リボンのような部分が細いタイプと太いタイプ)がありますが、そのどちらも1900年代を通して頻繁に描かれています。白い椅子はハマスホイの落ち着いた色味の画面に、明るいアクセントを添えています。いっぽうの茶色の椅子は、そのかわいらしいシルエットとシックな色彩が、ハマスホイの世界観にぴったり合っているように思えます。

パンチボウルのある室内 《パンチボウルのある室内》
1904年
油彩/カンヴァス
78.5 x 57.5 cm
ベネディクト女王(デンマーク)

椅子のほかにも、ハマスホイの室内画には彼が好んだモノたち、丸や四角の食卓、ピアノ、書き物机、大小さまざまな額縁、帝国様式のソファなどが描かれています。そしてそれらの中で最も印象的なものの一つが、1904年頃から描かれるロイヤル・コペンハーゲン社製のアンティークのパンチボウルです。

2008年に国立西洋美術館で開催された展覧会にはこのパンチボウルも展示されていました。しかし、よく見てみると、絵画に描かれているものとは模様が若干異なることに気がついた方も多いのではないでしょうか。展覧会に出展されていたのは現物ではなく、ロイヤル・コペンハーゲン社が制作した復刻版でした。室内画に描かれたパンチボウルと比較してみると、復刻版は植物文様が小さく、そのぶん、パンチボウル自体が重くどっしりとしている印象を受けます。もちろん、その滑らかなフォルムと流麗な装飾文様はとっても上品なのですが、ハマスホイが描いたパンチボウルの可憐な趣とはどこか違っているように感じられました。

ハマスホイ研究を始めた頃から、このパンチボウルは気になる存在でした。しかも描かれた作品をよく見てみると、ボウルの蓋と胴体の間にわずかな隙間が空いています。たまたま、その作品を描く時に少しだけ蓋をずらしたのかもしれない、とも思いましたが、パンチボウルが描かれた他の作例を見てみると、そのすべてにわずかな隙間があるのです。

ところで、話がちょっと横道にそれますが、絵画と写真の違いはなんだろうと考えてみると、その最大かつ素朴な違いの一つは、絵画が対象を美的に描きだすのに対して、写真はその直接的かつ正確な再現である、といえるかと思います。もちろん、厳密にはそうではありませんが、例えば肖像画と肖像写真を例にとれば、肖像画には原則としてある一定の美化作用が働いています。画家は目の前の現実を自身の美的感性に沿って作り替えることができます。それゆえに、世界を単純に「切り取る」だけの写真家よりも優れている、というのが古典的な絵画擁護論者の意見でした。それは、神が創り賜うた自然をより美しく「再」現することができる、ということですから、画家(を含む芸術家)には神から特別な才能を授けられた人として、「天才」という称号が与えられるのです。

しかし、それならば尚更のこと、少しだけ隙間の空いたパンチボウルの蓋がますます奇妙なものに感じられます。仮に実物のパンチボウルの蓋がきちんとはまらなかったとしても、カンヴァスの上では、それがぴったりと合わさった状態に描くことはできたはずですし、伝統的な絵画観からすれば、むしろそうするべきだったのではないでしょうか。

デンマークでの研究生活の間も、このパンチボウルのことはずっと気になっていました。しかし、他にやるべきことが沢山ありすぎて、パンチボウルを探している場合じゃない、というのが正直なところでした。そもそもハマスホイのパンチボウルが現存しているという保証はどこにもありません。一般的に考えれば、ヨーロッパで二つの世界大戦があった20世紀を生き延びて、今もどこかに保存されていると考える方が、楽観的に過ぎるようにも思われました。

デンマークにいるあいだ、私がもっとも多くの時間と労力を割いたのは、美術館や図書館での文献調査でしたが、それと同じくらい、プライベート・コレクションの作品調査も重要な課題でした。ハマスホイの作品は現在でも、個人蔵のものが相当数にのぼります。しかし、留学ものこり僅かになって、帰国の日が近づいてきても、プライベート・コレクターに連絡を取ることは全く出来ていませんでした。個人の財産に関することですから、純粋に研究の目的であっても、彼らにアクセスするのは、とりわけ外国人の一学生に過ぎない私にとって、きわめて難しいことでした。コペンハーゲン大学の指導教官の推薦状を添えて手紙を出し、時には所蔵者の自宅に足を運んで玄関のインターホンごしに調査を依頼したこともありました。しかし、そうした試みが実を結ぶことはありませんでした。自分の認識が甘かったことを痛感し、募る焦りと無力感に半ば諦めかけていた帰国の約一月前、個人所蔵家のFさんから連絡があったのは、ちょうどそんな時でした。

調査依頼の手紙に何らかの反応をしてくれたのはFさんだけでした。早速、メールに記されていた番号に電話をかけ、改めて調査を依頼しましたが、正直に言って、本当に作品を見せてくれるのか、半信半疑でした。ですから、電話ごしに調査を快諾してくれた時は、本当に嬉しかったです。日取りと時間を決め、何度もお礼を言ってその日は電話を切りました。そして数日後、電車とバスを乗り継いで、閑静な住宅街に建つFさんのお宅にお邪魔しました。私は勝手に豪華な家具調度と広い部屋がたくさんある大きな屋敷を想像していましたが、Fさんのお宅はこぢんまりとした、ごく一般的なデンマークの家でした。番地と表札を確かめ、時計を見て、緊張した手でベルを鳴らします。するとしばらくして、私のおじいちゃんくらいの年齢のFさんが、優しい笑顔でドアを開けてくれました。

日本からハマスホイを研究しに来た、ということがFさんの興味をひいたようで、調査の前にいろいろなことを質問されました。調査に来たはずの私が、逆に調査されているようで、なんとなくおかしくなりましたが、会話のなかで、Fさんがハマスホイにとても惹かれていること、そしてFさんがハマスホイの絵を所有している経緯がわかり、安心感と、それから同士を見つけたような嬉しい気持ちになりました。そしていよいよ調査開始です。胸の高鳴りを押さえながら、作品のサイズをはかったり、写真を撮ったり、Fさんに来歴を聞いたりしていた時、視界の隅にどこかで見覚えのある器が映ったのです。

一瞬、その器に釘付けになった私を見て、「これはハマスホイの家にあったものだよ」とFさんは教えてくれました。そう、それはまぎれもなく、100年前にストランゲーゼ30番地にあった、あのパンチボウルだったのです。近づいてよく見てみると、全体にひびが入っていて、一度粉々に砕けたものであることがわかります。その破片を、針金のような小さな金属片で一つ一つつなげて修復していました。金属片で留められた破片と破片との間には小さな隙間ができていて、その小さな隙間の集積によって、蓋と胴体がぴったりとはまらなくなってしまったのです。

思いもよらなかったパンチボウルとの出会い。そこから、ハマスホイがこのパンチボウルを手に入れた時、それはすでに一度割れて修復された後だったことがわかりました。水を注げば、そこら中のひびから水が漏れて大変なことになったでしょう。日常生活という観点から見れば、それはガラクタに過ぎません。しかしそれだからこそ、きっとハマスホイはこのパンチボウルが気に入ったのだろうという気がします。ただ眺められるだけのモノとして、実用性と引き換えに、このパンチボウルは美的価値を得たのです。

ひび割れたパンチボウルを眺めていると、一度粉々になりながらも、その破片を一枚一枚拾ってつなぎ合わせた人がいたことに思い至ります。それは途方もなく時間と手間のかかる作業であったに違いありません。そして過去の持ち主が、割れてしまったパンチボウルを再びもとの姿に戻したいと願ったその思いは、その後このボウルを手にした人々に受け継がれていったのです。破片と破片の、そして蓋と胴体の隙間には、そんな人たちの思いが満ちているような気がしました。そしてハマスホイもきっと、その可憐なシルエットに込められた思いに心惹かれたのでしょう。彼がパンチボウルの蓋の隙間をそのまま描いたのは、大切にされてきたモノだけが纏う気品をカンヴァスに留めようとしたからなのだと、私にはそう思えたのでした。

ちょっぴり蓋のずれたこのパンチボウルは、ハマスホイの絵の中で、いつもとびっきりの良い場所に置かれています。それはカメラの前ではにかむ小さな女の子のようで、その様子を暖かく見守る父親のようなハマスホイの優しい視線を感じさせます。子供のいなかったハマスホイが父親というのも、なんだかおかしなことではありますが。

Fさんのお宅にやってきたパンチボウルは、今から100年後にはどこにあるのでしょうか。Fさんのご家族か、あるいは、全く見ず知らずの誰かの家にあるのかもしれません。いずれにしても、きっと今までと変わらず、大切に大切に扱われることでしょう。ハマスホイの手を離れて100年後、Fさんの家でそうであったように。

そんなことを漠然と考えていると、ふと、自分のコーヒーカップのことが頭に浮かびました。残念ながら、私のコーヒーカップはロイヤル・コペンハーゲン社製でも、アンティークでもありません。100年後、とっくの昔に死んだ私に代わって、ハマスホイのパンチボウルのように、どこかの誰かに大切に扱ってもらっているかというと、どうもその望みは薄そうです。だからというわけでもありませんが、「お前だってなかなか素敵じゃないか」と、この健気なコーヒーカップに、なんとなくそういってあげたくなったのでした。

萬屋健司

1979年 長崎県に生まれる
旧大阪外国語大学デンマーク語科を卒業後、大阪大学大学院にて西洋美術史を学ぶ
大学院在学中にコペンハーゲン大学に留学
ヴィルヘルム・ハマスホイを中心とする近代デンマーク美術を研究
2008年帰国。同年国立西洋美術館で開催された
「ヴィルヘルム・ハンマースホイ-静かなる詩情」展の図録の一部を執筆
現在、山口県立美術館学芸員