絵本の栞 / 水谷英与

見上げる空

あな 写真|水谷芳也

にちようびの あさ、 なにも することがなかったので、
ひろしは あなを ほりはじめた。

こんな書きだしで始まる『あな』は、私に「絵本ってなんだろう」と、考えるきっかけをくれた本のうちの1冊です。和田誠さんの親しみやすい絵と、谷川俊太郎さんの簡潔な文章が、ユーモアに似たものを感じさせてくれますが、読めば読むほどに、色々なことを考えさせてくれる絵本なのです。

主人公の、10歳くらいの少年ひろしは、何にするという目的も目標もなしに、自らの意思で、庭に穴を掘っていきます。途中、家族や友達がかわるがわる様子を見にきては、感想を言ったり、その目的を尋ねますが、ひろしは適当にかわし、決して手を休めません。そして、自分の背丈がすっぽり埋まるほどの穴を掘り上げると、その中に入ってみます。

慣れない力仕事と、自分で自分に与えた使命のために、ひろしの体も頭も、こちこちに固くなっていたはずです。そこへ、いもむしが、ふいに現れます。

そのとき おおきな いもむしが あなのそこから はいだしてきた。
「こんにちは」と、 ひろしは いった。
いもむしは、 だまって また つちのなかへ かえっていった。
ふっと かたから ちからが ぬけた。
ひろしは ほるのを やめて すわりこんだ。

緊張が解け、安堵の息をつき、次に体に入ってきた空気には、土の、良い匂いがしたでしょう。シャベルの刻みあとが残る壁は、どんな手触りをひろしに与えてくれたでしょう。

あなのなかは しずかだった。つちは いいにおいがした。
ひろしは あなのかべの しゃべるのあとに さわってみた。
「これは ぼくの あなだ」 ひろしは おもった。

ひろしは自分で堀った穴の中に膝を抱えて座り、そこから空を仰ぎます。ひろしが堀った穴と同じ大きさの空が、丸く切り取られています。目を凝らして、それを見つめているひろし。すべての時が止まってしまったかのような静寂が、ひろしの穴の中を満たしているでしょう。けれど、ひろしは、自分の額を流れる汗も、自分の胸を打つ鼓動も、もちろん十分感じているはずです。深い充足感とともに、見上げた空の青さが、ひろしの心に焼きついたことでしょう。

新しい何かが始まろうとしているとき、ふいに不安が襲ってきて、その当日がやってこなければよいと弱気になることはないですかー。あるいは、それをするのは自分であって、それが務めだとわかっていても、ほんの一時、待ってもらいたいような気持ちになることはないでしょうかー。(私はたびたびそういう気持ちにみまわれます。)

そんなとき、汗を流した体験を思い出しながら、 想像の中で、「ひろしのあなにおりてみる」というのはどうだろう、と、ある時思いつきました。荒い息を整えながら、そっと穴の底へ降りて、自分の膝を抱えてみるのです。

元気があるとき、どこまでも果てしなく広がっている空は、気持ちを解き放って、さらなる活力を与えてくれるけれど、すこしだけ留まっていたい時、やがてやってくるにちがいない何かを、恐れるような気持ちがある時、その空の大きさが負担になることもあるものです。でも、穴の中から見上げる、限定された、まるで額縁の中の絵のような空だったら?

自分の体ひとつ分だけが、すっぽり入る穴と、それに等しい空の大きさ。それだったら臆することなく存分に眺めることができるし、いつしかそれは、見上げている私の中に、すっぽりと入ってきてくれるのではないでしょうか。自分に見合う大きさの空を体に入れることで、呼吸が楽になり、やがて立ち上がり、穴から這い上がる勇気が湧いてくると思うのです。

絵本の中のひろしも、最後は穴を出ます。その頃には、空の色は青からスミレ色に変っています。ひろしは、「これは ぼくの あなだ」 と、再び思います。

本当の穴を掘り上げたわけではない私は、その言葉を口にすることはできませんが、穴の底から見上げた空の青色は、「それは わたしの あおだ」 と言ってもいいかなと思います。

あな』 福音館書店
作 谷川 俊太郎
画 和田 誠

水谷英与

日本大学芸術学部文芸学科卒業
カメラマンの夫とともに1992年から一年間をニューヨークに暮らす
長女の誕生をきっかけとして、絵本の世界の扉を開き、
6年前より図書ボランティア(絵本の読み聞かせ)を続けている
夫のデザインとシルクスクリーンによるTシャツショップ
BOOTS & STICKSを運営中 http://bootsandsticks.com/