絵本の栞 / 水谷英与

プラスの感性

ひみつのひきだしあけた? 写真|水谷芳也

人生を、勝ちと負けで分けることができないように、感じ入る気持ちやわき起こる想いを、カテゴライズすることなどできないと思っています。

けれど、ある時、「プラス」と「マイナス」という言葉が頭に浮かび、時折それについて考えを巡らせるようになりました。

なぜそんなふうになったのでしょうー。

ひとつには、『ひみつのひきだしあけた?』という絵本の中の、チイばあちゃんのひきだしを、久しぶりに見たからかもしれません。それはこんなふうに描写されています。

かいがらに かせき。うごかない とけい。
きれいな こいし。ちよがみ。ほうそうし。
あめの かみ。チョコレートの あきかん。 ・・・・・・。
「よく まあ、いれてるもんだ。
たしかに あたし、なんでもかんでも
ここに しまう くせが あるからねえ」
チイばあちゃんたら、 じぶんでも かんしんした。
ひきだしは、ひっぱるだけ あいていく。
するするする。するするする。

チイばあちゃんのひきだしは、雑多なもので溢れています。人から見れば「がらくた」かもしれませんが、彼女にとっては大切なものや、気持ちが留ったものなのでしょう。何かしらの思い出の重なったものは、簡単には捨て去ることができません。そして、不思議なことに、このひきだしは、ひっぱればひっぱるだけ、どこまでもどこまでも開いて(伸びて)いくのです。

心の中の、思い出がしまわれている場所も、このひきだしと同じだと思いました。忘れたくない、とっておきたいと願えば、いくらでも、気持ちや思い出を詰め込んでおけるのですから。

でも一方で、こんなふうに、これが私の思い出ですといって、差し出して、見せることができないものや、心の底から二度と汲み上げてはならないと固く誓った想いを、時に人は抱えて生きていくこともあります。

公にできるもの、目に見えるものを「プラス」だとしたら、できないものは「マイナス」なのでは‥と思ったのです。

それと、もうひとつの理由はこんなことからでした。

美しいものに触れたとき‥夕焼けや風の匂いや雪が降る様子など‥の「最初」はいつだったのだろう、と思い返した時、私はいつも、生まれ育った古い木造家屋の、縁側の風景が浮かぶのです。そこに腰かけ、足をぶらぶらしながら見た風景や、感じた風が、原体験だとしたら、背中で聞いていた、家族の声や気配もいつも一緒に蘇ってきます。

5歳か6歳の少女だった私は、敏感な子どもだったのかもしれません。祖父母、両親、妹の他に、父の弟妹も一緒の、大家族ゆえの、きしみのようなものを知っていました。その家の初孫として大切に育てられましたが、幼い時の思い出は、いつでもなんだかすこし悲しいのです。その気持ちが「悲しさ」に似ているとわかったのは、もっと大きくなってからですが、悲しい気持ちは負のイメージと結びつき、ひっそりと私の中に留まっています。

私には今年の夏14歳になる娘がいます。彼女が大人になって、子ども時代を振り返ったときに、彼女の様々な時間は、少なくとも、私が感じたような悲しさを伴ってはいないでしょう。彼女のベクトルは、常に「正」を示しているように思えてなりません。肯定感に満ちているのです。「正」と「負」、「プラス」と「マイナス」。私の感受性がマイナスで成り立っているとしたら、娘の感受性はプラスなのではと、そんな思いが浮かんだのです。

プラスとマイナス。

どちらがよくてどちらがわるい、というものではなく、おそらくたいていの人は、プラスもマイナスもごちゃ混ぜになった中で、日々の暮らしを送り、何かを感じたり、何かを感じないようにしたりしながら、生きているのだと思います。

誰の心のひきだしも、ひっぱりだせば、どこまでも、するするすると開いていき、奥の奥がどこにあるのか、当の本人にさえわからないのでしょう。

深い所で、ひきだしがきしっと音を立てて開くたび、見える中味も見えない中味も、ことっと乾いた音をたてています。

『ひみつのひきだしあけた?』 PHP研究所
さく あまんきみこ
え  やまわきゆりこ

水谷英与

日本大学芸術学部文芸学科卒業
カメラマンの夫とともに1992年から一年間をニューヨークに暮らす
長女の誕生をきっかけとして、絵本の世界の扉を開き、
6年前より図書ボランティア(絵本の読み聞かせ)を続けている
夫のデザインとシルクスクリーンによるTシャツショップ
BOOTS & STICKSを運営中 http://bootsandsticks.com/