絵本の栞 / 水谷英与

ひかりとともに

写真|水谷芳也

あかい ひかり
みどりの ひかり

おはよう

町の朝が始まります。トラックは車庫から、馬は厩から、こどもはその子の家から、犬は犬小屋から、ねずみは巣穴から出てきます。命あるものもないものも、言葉を話すものもそうでないものも、みな、おはようと目覚め、赤いライトの前では止まり、緑になると進みます。そう、これは幼い子に、信号機のしくみを教える絵本なのです。

そして みんな
じぶんの みちを いく
トラックと くるまと じてんしゃと
うまの みち
のはらを よこぎる ジープの みち

はじめてこの絵本を開いたとき、「じぶんの みちをいく」の一文に、気持ちをぎゅっとつかまれました。与えられた役割や決められた物事を、淡々と教えているだけなのだとわかっていても、それは大切な何かを私に、語りかけているようでした。

進むべき道がはっきりしているとき、人は疲れていても前へ進むことをやめはしないでしょう。道を間違えているような心もとなさや、曲がり角でどちらへ行こうか迷ったとき、足は止まります。途方にくれてしゃがみこんだ姿は、暗い波間に浮かんだ小舟のようです。そして、小舟の私が探しているのは、導いてくれる一筋の光。誰かが、こっちへくれば、と示してくれる方へ、進んでいくことは、正しくて、安全に思えます。しかし、それは「じぶんのみち」を進んでいるということになるでしょうか。導いてくれる光を、足がとまりそうになると、私は無意識のうちに探し、自分で決めたかのように、進んでいたのかもしれないと思いました。だから、「じぶんのみち」の一文に、心が留ったのです。

私の道を、私の足で、歩いていきたい気持ちがあるのなら、何をすればよいか、今からでも遅くはないかと、考えました。
迷っていること、途方にくれていることを、知っているのは自分だけです。できることといえば、自分の内を覗きこみ、思い出し、思案し、感じようと努めること‥。遠くに光るあかりを欲しているときほど、実は自分の内面を深く見下ろすときなのでは、と思いました。目を反らさず見つめ続ければ、小さいけれど確かな、松明のようなあかりが、胸の中に灯ってくるかもしれません。その内側からのあかりこそが、足元を着実に照らし、道を踏み出す勇気を、再び与えてくれるひかりなのでしょう。
そして みんな じぶんの みちを いく
自分の力で灯したあかりを携えて、進んでいくのが、「じぶんのみち」なのです。

絵本の最後は、こんなふうに終わります。

あとには あかい ひかりと
みどりの ひかりだけが
やみの なかで ついたり きえたり

あかい ひかり
みどりの ひかり

おやすみなさい

一度灯ったひかりは、時に消え入りそうに小さくなっても、消えてしまったきりになることはないと、今の私は知っています。
そして、「おやすみなさい」は、必ず翌朝の「おはよう」に繋がっていき、道はどこまでも続いています。

『あかいひかり みどりのひかり』 童話館出版
文 マーガレット・ワイズ・ブラウン
絵 レナード・ワイスガード
訳 谷川 俊太郎

水谷英与

日本大学芸術学部文芸学科卒業
カメラマンの夫とともに1992年から一年間をニューヨークに暮らす
長女の誕生をきっかけとして、絵本の世界の扉を開き、
6年前より図書ボランティア(絵本の読み聞かせ)を続けている
夫のデザインとシルクスクリーンによるTシャツショップ
BOOTS & STICKSを運営中 http://bootsandsticks.com/