銅でもいい話 / 文・相原緑青

帰り道

半年ぶりに学生時代の友人と会い、食事をした。彼女は仕事やら何やら忙しい人なので頻繁に会うことは難しい。だが目の前にして話をすれば、まるで久しぶりに母国語で気の済むまで話をするような、そんな安心感に包まれる。お互いが思いついた事をすぐ口にして、話があっちに行ったかと思えばこっちに来たり、そしてまた戻ったりする。傍目から見ると、全くまとまりのない会話だと思われるに違いないのだが、私たちは私たちの共通言語で話をしているので特に問題は起こらない。

「じゃあ、またね」

互いに英気を養い、それぞれ帰路についた。

電車が自宅近くの駅に到着。もうすぐ午後十一時半になる。今日の夜は、この冬一番の冷え込みになると天気予報で言っていたので、用心して厚手の黒いコートを着て来た。しかし、それでもやはり寒い。吐く息は白く、空気はただ静まって、早足に歩く自分の靴音ばかりが耳に残る。駅から自宅までの途中、工事現場を迂回しなければならない。この現場はかれこれ一年以上工事をしている。初めの頃は迂回することが非常に億劫に感じたが、今はそれほどでもなく、当たり前に迂回し、以前の道の様子を思い出すことさえできない。現場に面する細い一方通行の道。街灯がぽつりぽつりと設置されている。工事現場を囲むように、ずらりとトタンの背の高い板が張り巡らされて、街灯の明かりをぼんやり反射している。工事現場の終わりかけの所、街灯に照らされて二人の女性が立ち止まっているのが見える。近くには白い乗用車が停車し、彼女たちの足下には何かがうずくまっているようだ。私は横を素通りすることができず、何気なく足を止めてしまった。

「この街灯がなかったら、完全に轢いてたわよ」

細身の背の高い、眼鏡をかけた女性が語気を荒くして言った。私より少し年上かもしれない。そのお姉さんの横の、もう一人の年配の女性が続けて言う。

「困ったわね。全然起きないわ」

彼女はきっと、私の母親と同じぐらいの年代だ。お姉さんとお母さんと私。そして街灯に照らされて、三人の足下にはおじさんがひとり寝っ転がっている。一方通行の道路の真ん中で、ダンゴムシのように丸くなっているおじさん。どうやら酔っぱらって道路で寝てしまったようだ。そこを車で通ろうとしたお姉さんが、そのおじさんに気がついた。車を降りて様子を見ていた所、自転車で通りかかったお母さんが立ち止まって、どうしたものかと一緒に思案にくれている最中だったようだ。

「ちょっと。大丈夫ですか」

お姉さんが大きな声でおじさんに話しかけるが、全く反応がない。私は、丸くなって寝ているおじさんを真上から覗き込んだ。とても華奢に見える。スーツの上に着ているコートが、ワンサイズ大きいような気がする。

「救急車呼んだ方がいいのかしら」

「そうねえ」

「全然起きる気配がないですよね」

そして三人そろって困り顔になっている側に、自転車に乗って来た一人の男性が止まった。どうしましたかと尋ねられたので、お姉さんが事情を説明した。その男性は五十代だろうか。どこがどうだから、というはっきりした理由はないが、発する雰囲気から察するに、どこかの会社の部長さんに思えてならなかった。

「おじさん、大丈夫?こんなところで寝てたら、寒くて死んじゃうよ」

部長さんがしゃがんで、ゆったりとおじさんに話しかけると、なんと今まで少しも反応がなかったおじさんが少し目を開けた。

「ほら、お家に帰らないと。立てる?」

おじさんはぼんやりとして、また目を閉じた。体が動かないようだ。部長さんが寝転がったままのおじさんに名前を聞くと、目を閉じたままゆっくりフルネームを答えた。住所を聞くと、町名を答えた。

「じゃ、お家の電話番号は?」と続けて尋ねる。おじさんはしばらく沈黙した後、「言わない」と一言言い切った。どうにも埒が明かないので、部長さんが携帯電話でどこかへ電話をし始めた。

「あ、お父さんだけど。○○町でさ、○○さんて知ってる?知らないよなあ。今駅の近くなんだけど、酔っぱらったおじさんが道路に寝ちゃってさ。うん。うん。うん。大丈夫。うん。はい。ありがとう」

家族に電話して、一応確認してくれたらしい。部長さんはおじさんの状態を確かめるように話しかける。おじさん、今日は池袋で飲んで帰って来て、麦酒も飲んだし、焼酎も飲んだし、日本酒も飲んだらしい。

「何かあったかもしれないけど、そんなにいっぱい飲んじゃあ、だめだよ」

部長さんはかがみ込んでおじさんに声を掛ける。お姉さんは時々「困ったな、もう」とつぶやきながら、うろうろする。お母さんと私は、ただ心配そうに傍に立っていた。いくらかの時間が過ぎてもおじさんの体は動かないようで、寒空のもと、相変わらず丸くなって倒れたままだ。

「今日は本当に寒いし、このままじゃどうしようもないから。やっぱり救急車を呼ぼう」

そう部長さんが言うと、お姉さんも決心がついたらしく、車の中から携帯電話を取り出して救急車を呼んだ。そして私は、ここにいても何の役にもたっていないことは薄々気付いていたが、それでもなんとなく、私も救急車が来るのを待つようなことになった。決して緊迫した雰囲気ではなかったのだけれど、サイレンの音が遠くから聞こえ始め、だんだんと近付いて来た時は、少しだけ空気が緩んだような気がした。

救急隊員は三人。二人は救急車から担架を出し始め、一人はおじさんの方へ向かい、しゃがんで声をかけた。

「どうしましたか?起きられますか?」

おじさんは、ほとんど反応しないようだった。だが隊員に上体を起こされたのか、自力で起きたのか、いつの間にか膝を抱え、頭をうなだれ、小さくなって道路に座る姿勢になった。そして時々「う、う」と言って吐き気を催しはするものの、実際に戻したりすることはなかった。電話をくれた方はどなたですか、少しお話を聞かせて下さいと言われ、お姉さんが救急隊のもとへ行った。

「もう大丈夫そうだね。じゃあ、お疲れさん」

部長さんはそう言うと、軽やかに自転車にまたがってその場を離れていった。私も誰に言うでもなく「失礼します」と小さく言って、家に向かって歩き出した。コートのポケットに手を突っ込み、マフラーにできるだけ顔を埋める。底から冷えきった空気が耳元をかすめて行く。お姉さん、お母さん、部長さん、私、そして酔っぱらいのおじさん。もう二度と会うことはないだろうし、ましてや一つの物事に対して皆で向き合うということもないだろうと、頭の隅のほうで微かに思いながら歩いていたら、

「気をつけて帰ってね」

自転車に乗った先ほどのお母さんが、私をゆっくり追い越して行った。

燃えるゴミの日の朝。半透明の大きく膨らんだビニール袋を携えて、ゴミ出し場へ行く。カラスにゴミを漁られないように青色の網でゴミが覆われているので、それをめくって自分の持って来たゴミを置き、再度網を掛け直す。その時、駅の方向へ一台の自転車がさっと走り抜けて行った。その自転車に乗る人の後ろ姿を見たとたん、あれは部長さんだと思った。何の確信もないけれど、あの感じは部長さんだと思った。しかし確かめようにも手段はなく、その姿はどんどん自分から離れていくばかりである。ああ、もし部長さんだったなら、朝の挨拶ができなかったなあと悔やみつつ、何も羽織らず出て来てしまったので、鼻をすすりながら早々家に戻った。

銅でもいい質問

さて、今回は、皆さんの「帰り道の好きな風景」を教えてほしいです。

教えてくれた方の中から「くじびき」で一名様に、写真の銅のプレートを差し上げます。(世界にひとつ、リピートなしです、たぶん)

今回も複数の方が教えてくれますように。

「くじびき」、ぜひしたいですから。

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相原緑青

銅や真鍮を使って鍋や匙、器などを「群青ラボ」という名前で制作しています。