やがてうれしい中国茶 / 浅井恵子

陳年烏龍茶

台北のとある夏の昼下がり。

外気温は38度を越しているというのに、まるで別世界のように心地よい部屋で、台湾の先生にお茶をいれていただいていた。

めったにない機会なので先生の一つ一つの動作を網膜に焼き付けておこうと思って見つめていたつもりなのに、あまりにも無駄のない流麗な動きに魅了されて、気づくとただぼぉーっとながめていた。

私がこの台湾の烏龍茶の先生と出会って、かれこれ10数年の年月が経つ。

「凍頂烏龍茶」というキーワードで開いた台湾の扉の先に、一軒の素晴らしい茶芸館があった。

交通量の多い通りから一本わき道に入ると、いくつか屋台があって、時おり臭豆腐のにおいが漂っているような場所の先にあんな空間があったことは、今から思えば「台北の奇跡」だったような気がする。

その茶芸館の経営者としてこの先生と出会った。

元は画廊でキュレターをしていたというその方の目が行き届いた店内は、余分な装飾はなく、かといって整いすぎているという窮屈感もなく、とにかく居心地がよかった。

茶器もとくべつに高価なものを使っているわけではないのに品があった。

台湾に足繁く通うようになった理由の一つが、この茶芸館だった。

そんなある日、台北に住む知人がその茶芸館で烏龍茶入門講座のチラシを見つけた。

先生に教えを受けたのはあとにも先にもその入門講座の5回だけなので、正確に言えば

先生と私は師弟というほどの間柄ではない。

出会った頃の先生は今より気さくで、茶目っ気のある明るい方だった。

茶器でも服でも同じものが欲しいと言えば、仕入れに行く時間がないから自分で買いに行きなさいと売っているお店を教えてくれたり、他にお客さんがいなければ、手に入れたばかりのお茶をいれてくれたり、最後の客になってしまったときには、「流しのタクシーに乗ってはだめよ」と契約しているタクシーを呼んで宿まで同乗させてもらったことも何度かあった。

茶芸館を営みながら少しずつ教えることも増えていき、当然のことながら教えを請うひとも増えて、カリキュラムも見直され私が参加した入門講座などはとうになくなってしまった。

数年前に茶芸館を閉めて教えることに専念してからは、指導者としての日々がそうさせたのか、近寄りがたい雰囲気さえ漂って、お目にかかる機会を得てもなんだか気後れしてしまう自分が悲しい。

私の側らで同じように台湾の先生のお手前に見入っているのは、京都からご案内したお煎茶の先生。

このお二人の出会いから今日まで、ほぼ10年にわたる歳月に京都で3回、台北で3回と、

いつもなんらかのかたちでその場に立ち会うことができたことは、私にとってとても貴重な経験だった。それは講座ではとうてい学ぶことのできないことだったから。

「私のことを一番理解してくださるのは、京都の先生」と台湾の先生は言う。

それを聞いた友人が、「でもお二人って、直接はお話できないじゃない。いつも人を介して会話しているのに、どうしてそんなに分かり合えるのかしら?」と私に聞いたことがある。

確かに、とても不思議なことのようにも思える。

けれどもこの二人にはお茶を伝えることにかける「静かな情熱」という共通の言語があるのを私は感じている。

先生からいただいた茶葉の包には手書きの文字で「81年陳茶」と書かれていた。
これは中華民国81年の意味なので、西暦では1992年のこと

高山烏龍の2006年冬茶・2007年春茶に続いて、最後にいれていただいたのは凍頂烏龍茶の15年ものだった。

あるときとてもよい凍頂烏龍茶が手に入ったので、一部を残してご自分で15年寝かせたものだとか。そんな大切なお茶をいれていただいた。

茶葉は茶色みが強く、かすかに酸味を帯びたなつかしい香りがした。

お湯をそそぐと熟した果実のような甘い香りに変わった。けれどもその「果香」は鉄観音のものとは違う。ほのかに梅の実のような香りがした。

口に含むと少しばかり薬のような味がするのは、時間を経たお茶という先入観だろうか。

ゆっくりと飲み込んでからそっと息を吐くと再び甘い香りが戻ってくる。

熱い湯を注ぐと熟した果物のような香りが立ちのぼった
温めた茶壷(急須)に茶葉をいれると、どこか懐かしいほのかな梅の香りがした

長く寝かせたお茶のことを「陳年茶」と言うのだけれど、そのお茶がなぜ貴重なのかというと、それは先生とそのお茶が過ごしてきた時間をいただいているからなのだと思う。

私もいつか自分の「陳年茶」をだれかにいれることがあるのだろうか。

それが単なる「古いお茶」になってしまわないように、これからの日々を過すことができるのだろうか…

とある夏の昼下がり、そんなことをぼんやりと思った。

【陳年茶】

辞書を引くと「陳」という文字にはさまざまな意味があります。

並べると言う意味:「陳列」。述べるという意味:「陳情」。古臭いこと:「陳腐」、など。

訓では「ひね」と読み「古くなること、古くなったもの。老成すること」という意味があります。新生姜に対する「ひね生姜(貯蔵しておいて用いる生姜のこと)」は「陳生姜」と書くのだそうです。

中国では「陳年」と言う言葉はあるものを数年寝かせたことをいい、寝かせることによって成熟させる価値のあるものに使われます。

よく耳にするのが「陳年紹興酒」で、これは3年以上寝かせたものを指します。10年以上になると価値がでて、30年、50年となると値段もかなり上がっていきます。

あくまでもできの良いお酒を、よい状態で保存するということが条件です。

他にも黒酢やもちろんお茶にも「陳年」と呼ばれるものがあります。

お茶で陳年が喜ばれるものと言って、真っ先に浮かぶのは「プーアル茶」です。

お酒も酢もプーアル茶もどれも醗酵が大きな要素を占めるので、長く置くことで風味が増すというのは想像に難くないことです。

しかし新鮮さが身上の烏龍茶を寝かせるということが、いつのころから始まったのかよく分かりません。

調べてみても諸説あって、そのどれもが出典が明らかでなく私には判断がつきません。

ただ「薬として」の老茶(陳年茶のこと)について書かれているものを読んだ記憶があるので、あるいは漢方では昔からあったのかもしれません。昔はお茶そのものが「薬」と考えられていたのですから、それを寝かせたものには特別な薬効があると考えても不思議ではないと思います。

お茶に詳しい方にお聞きしたら「そんなの偶然だよ。お茶屋の隅に売れ残りがあって、ためしに飲んでみたら美味かったから、味をしめて寝かせたんじゃないの」なんて笑う人もいます。

台湾の茶商が大陸・安渓の鉄観音を作っている農家を回って古いお茶を買い集めているなどという話もまことしやかに伝わってくるので、案外そんなものかもしれません。

また一方で、30年ものの凍頂烏龍茶を作り続けている茶農家を取材しているサイトも見たことがありますが、そこでは熟練の職人が寝かせたお茶を丹念に観察して、頃合を見計らって火入れをしている様子を写真入りで紹介していました。

水色(すいしょく)は濃い杏色。歳月を経てもとの凍頂烏龍茶より濃い色に変わっていた

先生にいただいたお茶も15年手入れをしながら寝かせたと言うことですから、私が先生と出会う前のお茶ということになり、先生ったら密かにそんなことをされていたのか!と驚きました。

いずれにしても「陳年烏龍茶」がこれほどまでもてはやされるようになったのは、ここ数年のことではないかと思います。

陳年烏龍茶というのは総称ですから、元々はどんなお茶だったのかによっていれ方が違います。凍頂烏龍茶の老茶であれば凍頂烏龍茶のいれ方で、鉄観音の老茶であれば鉄観音のいれ方に準じてください。

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浅井恵子

10数年の会社勤務ののち、専門学校で中国語を学びその後半年ほど北京に語学留学をする。
中国茶との出会いは20年ほど前に台湾で飲んだ烏龍茶。
その台湾で知り合ったお茶仲間と年に1~2回お茶会を開き、
またお声がかかれば道具持参でお茶をいれに行くこともしばしば。
お茶と同じくらいに好きなものが布。どうして好きなのかは自分でもよく分からず。
ブログ:布とお茶を巡る旅 http://nunocha.exblog.jp/