やがてうれしい中国茶 / 浅井恵子

鉄観音茶

鉄観音茶の水色(すいしょく)はアンズ色。香りは果香(熟した果物の香り)といわれます。 写真|稲垣早苗

C.C.さんと出会ったのは、1999年に台湾で初めて参加したお茶会の席だった。

正確にはC.C.さんの奥さまと同じ茶席でお茶をいただいたのだけれど。
「この席には日本人のお客さまが2人いるのね」というお茶会スタッフの声に、もう一人の日本人てだれ?と見回したが、それらしい人は見当らなかった。
一人だけ気になる雰囲気のある女性がいて、「お金持ちの華僑の奥さま」かしらと思っていたのだけれど、その人こそC.C.さんの奥さまクニコさんだった。
後でそのことをクニコさんに伝えると、マダムのような外観からは想像もつかないような、おおらかな笑い声を立てて「確かに華僑の女房だけど、残念ながらお金持ちではないわ」と面白がってくれた。
じつはクニコさんも、もう一人の日本人て誰かしらと思っていたのだそう:笑

C.C.さんは台湾の南部で生まれ、15歳のときに両親に連れられて日本に来た。
ご両親は日本の台湾統治時代に、日本語で日本人としての教育を受けたいわゆる「日本語世代」の台湾人。
父上は日本の医師免許を持っていたので、息子の将来を考えて日本での生活を選んだ。
その頃の台湾は国民党による戒厳令下にあり、未成年者の海外渡航には厳しい時代だったので、八方手を尽くしての来日だったようだ。
そんなこともあって、その後長い間C.C.さんは台湾に帰ることはなかった。

日本ではだれもが「ああ、あそこね」と知っている有名私立高校に通って、その後、やはり有名私立大学に進んだ。
それでもまだ足りなかったのだろうか、アメリカの大学に留学することになった。
異国で身を立てるには、学問や資格はいくらあっても多すぎると言うことはなくて、ある意味、それが身を守る唯一の手段なのかもしれない。

日本でクニコさんとどのようにして出会ったのか聞きそびれたが、結局クニコさんもアメリカへ一緒に行くことになった。
1ドルが360円の時代で、外貨の持ち出しも厳しく制限されていたため、新天地での生活は苦労の連続だったようだけれど、クニコさんはいつもそれを笑い話にして語ってくれた。

そんなC.C.さんが台湾のお茶と出会ったのは、人生も半ばを過ぎて、アメリカで安定した生活を送っていた頃のこと。
台湾人の家庭に育ったので、もちろん烏龍茶は子供の頃から身近にあったのだが、ようやく民主化の兆しが見えた台湾に安心して里帰りができるようになり、そこで烏龍茶の普及に力を貸して欲しいという申し出を受けて、心は騒いだ。
自分の意思ではなかったとはいえ、若い頃に離れてしまった故郷にいくばくかの後ろめたさを感じていたので、「役に立ちたい」という思いは強かった。
アメリカに小さな会社を設立して、烏龍茶を紹介しようと積極的に活動を始めた。
私がお茶会でご夫妻に出会ったのはちょうどそんなころだった。

そのころはまだ生活の拠点はアメリカにあったが、ご両親の住んでいる日本にもちょっとした足場を作ろうと、麻布十番のビルの一室に事務所を持った。
その事務所は外観の古びた様子からは想像のつかない、クニコさんの趣味でシンプルモダンに改装された、たいそう居心地のよい空間だった。
私たちは一時期そこでお茶の教室をしたり(先生はハナジマ氏)ちいさなお茶会をしたり、新しいお茶が手に入ると試飲をしたりと、今から思えばずいぶんと熱心に活動していた。

そんなある日、いつものようにC.C.さんが台湾で見つけて来たお茶を「飲んでみましょう」ということになり、クニコさんが準備をしていた。
私はその時、クニコさんがご一緒した京都で買ったアンティークの茶器に気を取られていて、C.C.さんのお茶の話を聞き流していた。
クニコさんが茶葉を入れた急須に高温のお湯を注ぐと、たちまち熟した果実のような香りが広がって私を取り囲んだ。
私は驚いて「これなんのお茶ですか」って聞いたら、みんな呆れたような顔で、「だからさっきから特別な鉄観音だって言ってるじゃない」って。

これが、私の中で鉄観音への認識がはっきりと変わった瞬間だった。
1煎目は軽くて甘い。2煎目はやや濃厚な甘い香りと味が広がり、3煎、4煎と続くうちに、酸味や渋みが加わってくる滋味深いお茶だった。

「これはね、台北郊外の木柵というところで作られている、伝統的な鉄観音なんだよ」
伝統的な製法はとても手間がかかるので、だんだんと作り手が少なくなってきているのだとC.C.さんの話は続く。
「でもまだ一生懸命こういうお茶を作っている人がいるんだよ。僕はそういう人を応援したいんだ。それが僕の使命だと思っている」とC.C.さんにしてはめずらしく熱く語った。
そして「C.C.さんの鉄観音茶」は私のお気に入りとあい成った。

けれどもC.C.さんの思いは、結局のところから回りしてしまった。
故郷を離れていた空白の時間はあまりにも長かった。
C.C.さんの熱くて性急な思いは人々の困惑と誤解を生んだ。
傷つき落胆したC.C.さんは烏龍茶からすっかり遠ざかってしまった。
こうして私はお気に入りの鉄観音茶を失った。

そんな鉄観音に私が再び巡り会ったのは、台北の永康街にある「冶堂:イエタン」だった。
オーナーの何(カ)さんは穏やかだけれどもキッパリとした口調で、「私の店に置いているのは、昔からの製法で作った鉄観音だけです。今はやりの高山鉄観音などはおいていません。そういうお茶が欲しいなら他のお店を探してください」と言った。

人生経験を積んで、人情・世事によく通じていることを「酸いも甘いもかみ分けて」って言うけれど、私にはそれってまるで鉄観音のことのように思えてならない。

鉄観音茶とは

鉄観音は茶樹の品種で、中国大陸・福建省の安渓が原産地です。現在でも安渓は中国鉄観音の産地として有名です。
1919年に張迺妙(ちょうないみょう)・張迺乾(ちょうないかん)兄弟が安溪から台湾に1000本の苗木を持ち帰りました。
その苗が現在の台北郊外・木柵に植えられ、これが台湾鉄観音茶の始まりとなります。

台湾では「鉄観音」は茶樹の品種であるばかりでなく、茶葉の製法でもあります。
たとえば「翠玉」・「四季春」などの茶葉を原料としても「鉄観音製法」で作られていれば「鉄観音茶」として販売できます。
そこでちょっとややこしい話になりますが、鉄観音という種類の茶葉を鉄観音製法で作った鉄観音茶のことを『正叢鉄観音茶※』(せいそうてっかんのんちゃ)と呼んで区別しています。(※叢の字には木偏がつきます)
現在、台湾で鉄観音種の茶樹を栽培しているのは木柵地区だけです。

では、鉄観音製法とはいったいどんなものなのでしょうか。
前に凍頂烏龍茶の項で製法を説明しましたが、基本的な流れは同じです。
繰り返しになりますが、鉄観音製法の特徴的な部分を太字で示しました。

採取した茶葉を太陽に晒して(日光萎凋:いちょう)から室内に移し、ときどき素手でかき混ぜながら一日寝かせます(室内萎凋)。
この工程によって熟した果実のような香り(これを観音韻といいます)が生まれます。
一日目の深夜から翌日にかけて乾燥機で釜炒りをし(殺青:さっせい)酵素の働きを止めます。
その後、布にくるんで揉みます(揉捻:じゅうねん)。
揉捻すると茶葉から膠質の成分が出てくるので茶葉は丸くかたまりますが、それを広げてほぐします(解塊:かいこん)。
この揉捻と解塊を数回繰り返しますがその間に炭火で火入れをします。
ようやく3日目にして毛茶(あら茶)ができあがります。
このように鉄観音茶はゆっくりと火入れと揉捻を繰り返してつくられます。

淹れかたは凍頂烏龍茶を参考にしてください。

これだけ揃えばおいしい烏龍茶がはいります。茶壷(急須)茶承(受け皿)茶海(ピッチャー)茶杯(茶碗)茶通(茶杓)。
鉄観音茶の茶葉は固くしまって丸まり、艶がある。醗酵が高いので色は茶褐色です。
1煎出してかたよった茶葉は茶杓を使って平にならしておきます。

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浅井恵子

10数年の会社勤務ののち、専門学校で中国語を学びその後半年ほど北京に語学留学をする。
中国茶との出会いは20年ほど前に台湾で飲んだ烏龍茶。
その台湾で知り合ったお茶仲間と年に1~2回お茶会を開き、
またお声がかかれば道具持参でお茶をいれに行くこともしばしば。
お茶と同じくらいに好きなものが布。どうして好きなのかは自分でもよく分からず。
ブログ:布とお茶を巡る旅 http://nunocha.exblog.jp/