やがてうれしい中国茶 / 浅井恵子

普洱茶(プ―アル茶)

写真|稲垣早苗

珠ちゃんと初めて一緒に香港に行ったのはいつのことだったのだろうかと気になって、アルバムをめくってみると1988年の秋だった。
その何年か前に、半日観光付きのツアーで行った初めての香港もそれなりに楽しかったけれど、2回目のそのときは、格安チケットとへんてこりんなホテルを自分たちで手配してでかけた旅だった。
車体全部に広告の入った2階建てバスやトラム、スターフェリーに乗ってあちこち歩き回った。
植民地色がちょこっと入った中華グッズは、大陸のものと比べて私たちの購買欲を大いに刺激した。
そんな中で、私たちをいちばん魅了したのが「飲茶:ヤムチャ」だった。
日本ではまだ本格的な飲茶を楽しむことのできなかった頃で、「さすが本場!」その点心の種類の多さとワゴンで回ってくるシステムなどが面白くて夢中になった。

そして、飲茶といえば普洱茶。
「黙っているとね、日本人にはジャスミン茶を持ってくるのよ」と、どこかで仕入れてきた知識を披露する珠ちゃん。
最初のお店で、テーブルに着くなりその洗礼を受けた。
そのとき珠ちゃん、少しも慌てず威厳を持って「ポーレイ!」と一言。
足早に立ち去ろうとしていたウェイターのお兄さん、驚いて振りかえりポットを掴むと引き返して行った。
「ポーレイって、プーアルの広東語よ」とちょっとばかり得意そうな珠ちゃん。
それまでおっとり控えめな性格と思っていたけど、どうやら食に関しては別な一面をお持ちのよう。
それから行く先々で「ポーレイ」と叫ぶのは珠ちゃんの役目とあいなりました。

陸羽茶室に初めて行ったのも、このときだった。
背の高いターバンを巻いたインド人のドアマンが、私たちを一瞬にして品定めをし、そんなことはおくびにもださず扉を開けてくれるのだけれど、こういうことにも珠ちゃんは無頓着で怯まない。
私は知っている。彼女の心はすでに扉の向こうに行っているのだ。
無愛想でサービスはいまひとつ、とよく言われる陸羽茶室だけれど、私たちにはとても居心地がよかった。
適当に放っておいてもらったほうが気が楽なのと、お客さんや働く人を観察しているのが楽しい。
その間もメニューの研究に余念のない珠ちゃん。
一緒に旅に出ると、その人の意外な一面がでてきて面白い(こともある)。
どんなに新しい飲茶のお店に出会っても、やっぱりここに戻ってしまうのは、昔ながらのハーガオ(蝦餃)やダンダァ(蛋撻)の魅力もさることながら、やっぱりお茶の力だったのだと、ずいぶんたくさんのお店で普洱茶を飲んでから気がついた。
驚きはないけれど、深く長く続くお茶の味。
どこのお店でもポットの蓋を開けておくと何度でもお湯を継ぎ足してくれるのだけれど、最後までへたらないお茶って他ではなかなか出会わないものだった。

そういえば、珠ちゃんたら澄まして自分だけ「ソーメイ:壽眉」なんて別なお茶をオーダーして、蓋椀で一人飲んでいたこともあったけど、それも一度きりだったのは、やっぱり飲茶には「ポーレイ」ってことだったんだろうか?

香港への旅を繰り返すうちに、「ポーレイ」と叫ばなくても普洱茶がでてくるようになり、やがて台湾でお茶の師とめぐり合い、私たちは一緒に手ほどきを受けることになった。 それは香港が中国に「回帰」する年(1997年)の6月のことだった。 台湾の老師が旅行者である私たちのために、10日間で3時間×5回の特別集中講座をしてくださった。集中講座が終わるとその足で「回帰」の現場を見届けようと香港に向かい、一月ほど滞在した。その時、たいした考えもなく記念にと、13年物の普洱茶を買った。 「このまま寝かせておいて、このお茶が20年物になったとき、私はちょうど50歳。その時のお祝いに一緒に飲もうね」と約束したのに、どういうわけかすっかり忘れてしまった。 「それならこれが30年物のお茶になるとき、ケイコさんはいよいよ還暦。ビンテージもののお茶を飲むには還暦の方がふさわしいかも」な~んて笑っていたのに…。

一緒に飲んでくれるはずの友は、この夏逝ってしまった。

告別式の日に、ハナジマ夫妻はこの夏できたばかりのとてもきれいな白毫烏龍茶を、そしてアヤコさんは珠ちゃんがとりわけ好きだった鉄観音をそっと手向けていた。
そのときどうして私は思いつかなかったのだろう…。
台湾での集中講座の最後の日に「普洱茶をいれてください」とお願いした私たちに、
「普洱茶はまたの名を送客茶とか結束茶とか呼ばれていてね、最後にこのお茶を選ぶなんて、偶然とはいえとてもよい選択ね」
と老師が教えてくださったのに。
26年物の普洱茶と私。
思いがけず取り残されて、少し戸惑っている。

お茶の原産地は中国・雲南省といわれ、なかでも西双版納(シーザンパンナ)には樹齢800年を越す茶樹が何本もあります。しかもこれらの樹は多くが栽培種というのですから驚きます。
その雲南省の普洱県で作られるお茶の総称が普洱茶です。
この一帯に住む少数民族の多くは古い時代から茶葉をさまざまな形で生活の中に取り入れてきました。
ただし、いつごろから普洱茶が作られるようになったのかはよく分かっていません。
中国が雲南を領有した明代には普洱茶として広く知られるようになり、清代には雲南からの進貢品に指定され、朝廷でも愛飲されたという記録があります。

散茶:固めていない茶葉。メモに「易武芽尖」とあるので、易武山でとれた若い芽で作られたお茶のようです。

普洱茶はその製法によって大きく二つに分けられます。 まず茶葉を百数十度の高温に熱した鉄釜で炒って生葉の発酵を止め、天日でさらして緑茶を作ります。

生茶

上級茶はそのまま自然乾燥させますが、釜炒りしただけでは酸化酵素が完全にはなくならないので、乾燥した倉庫で寝かせるとその後も徐々に発酵が続きます。出来たばかりの茶葉は緑茶と同じく緑色をしていますが、保存期間が長くなるにつれて、茶葉の色は徐々に茶色へと変わっていきます。5年ほどで黄~琥珀色に変わり、10年ほどで茶色へと変化します。
それに従って、味も緑茶に近いものから烏龍茶を経て紅茶の様になり、さらに枯れて独特の「普洱茶」の味へと変化していきます。

熟茶

中級以下の硬い葉で作ったお茶は「渥堆」製法で後発酵させます。これは熱処理した茶葉を多湿状態に置き、カビによる発酵を促します。年代を経た茶葉の風味を短時間で量産できる方法として、1973年ごろから作られるようになりました。
香港で飲茶の時に飲まれたり日本で流通しているのはほとんどが、「熟茶」です。
「熟茶」は寝かせても味の変化はありません。
普洱茶は散茶の他に円盤のような形やレンガのように四角いものさまざまな形に固めたものがあります。これはその昔、交易品として長距離を運んだために、運搬がしやすいように圧縮されたからです。
一時は投機対象として高値で取引された「陳年茶:ビンテージ茶」も2008年には暴落し、以前の値段にもどったと聞き安心しました。

直径10cmくらいのお碗型の「沱茶」と呼ばれる圧縮タイプ。
包みを開くと刻印がありました。
よく見かけるのはこの円盤型の「餅茶」。これは樹齢800年の茶樹のある南糯山産。
直径20cm前後、重さは365gくらいが一般的な大きさ。茶葉の説明書が埋め込まれています。
飲む分だけ剥がすように取り分けます。これは専用の道具。

淹れ方

味を追求するならやはり紫砂の茶壷(急須)でいれるのが一番です。
茶葉の量は茶壷の大きさによりますが、烏龍茶をいれるときよりも20~30%くらい少な目が目安となります。
お湯は高温でいれます。1煎目は時間を置かずにすぐに注ぎ、飲まずに捨てます。
普洱茶は長い時間をかけて作られたお茶なので、軽くお湯で洗うことによって味が出やすくなります。中国語では文字通り「洗茶」といいます。
普洱茶の香りは独特で、烏龍茶とは異なりますので茶壷の兼用は避け、必ず専用の茶壷を使ってください。
茶壷を使っていれた普洱茶は味を重視したかなり濃いお茶です。
もっと気軽に飲みたい場合は、紅茶用のポットでいれてもいいと思います。
その時の茶葉の量はポットの大きさによりますので、少なめから試してお好みの味を探してください。
どういういれ方でもお湯は高温で、1煎目は飲まずに捨てること、これがポイントです。

水色(すいしょく)は赤味の強い茶色。美しいものは「瑪瑙(めのう)色」とも言われます。

今回は予定を変更して、普洱茶を味わっていただきました。
次回はあらためて、鉄観音茶をご一緒しましょう。
中国茶にまつわるご意見、ご感想、楽しみにお待ちしています。 → こちら

浅井恵子

10数年の会社勤務ののち、専門学校で中国語を学びその後半年ほど北京に語学留学をする。
中国茶との出会いは20年ほど前に台湾で飲んだ烏龍茶。
その台湾で知り合ったお茶仲間と年に1~2回お茶会を開き、
またお声がかかれば道具持参でお茶をいれに行くこともしばしば。
お茶と同じくらいに好きなものが布。どうして好きなのかは自分でもよく分からず。
ブログ:布とお茶を巡る旅 http://nunocha.exblog.jp/